年代別社長インデックス
掲載時期別社長インデックス
オススメ求人サイト
リンク
アプリラボ
第980回 株式会社傑さく 代表取締役社長 田中 傑氏
update 24/03/12
株式会社傑さく
田中 傑氏
株式会社傑さく 代表取締役社長 田中 傑氏
生年月日 1976年5月19日
プロフィール 東京都中央区に生まれる。高校卒業後、お笑いコンビ「ヒキガエル」を結成。コンビを解散した後、23歳で飲食店に就職。10年間、経営を学び、独立。2023年現在、飲食店だけではなく、海外向け事業、飲食のコンサル事業、農業などを幅広く行っている。飲食店では「東京オリーブ」が好調。
主な業態 「馬菜」「黒毛和牛焼肉 けっさく」「東京オリーブ」
企業HP https://kessaku.jp/

コンビ名は「ヒキガエル」

浪人中、漫才コンビ「ヒキガエル」を結成する。「お笑いは、ぼくらが最初だったんですが、モデル事務所にスカウトされて。マネージャーもついたりして。テレビにも出演していました」。
今回ご登場いただいたのは、「株式会社傑さく」の代表取締役社長を務める田中傑さん。小・中・高とサッカーをつづけたサッカー少年。高校時代は、サッカーに熱中しすぎて、在学中から浪人を覚悟してボールを追いかけていたと笑う。ただ、その浪人期間も半年で終了。お笑いの道に進む。
「母は猛反対でした。そりゃ、お笑い芸人で食べていけるのか、親だったら心配になりますよね。相方のほうもそうでした。そのなかで父は比較的、がんばれっていってくれたように思います」。
「スカウトしていただいたのは、モデル事務所で、お笑いはぼくらが初めて。だから、マネジメントの方法も手探りだったんでしょうし、ぼくらもぼくらで、先輩がいないんで、どういう方向に進めばいいかわかんなかったんです。一般のお客様には、笑っていただきましたが、芸人からの評価はきびしかったように思います」。なんだかんだ2年くらいで、コンビを解散する。

解散したヒキガエルの、新たな道の始まり。

「千葉県の船橋にある焼肉店でアルバイトを始めます。これが、ほぼ23歳の時で、10年間こちらでお世話になりました。船橋では有名な焼肉店です」。
アルバイトからスタートし、3ヵ月で社員に昇格。のちに営業部長のような存在になるから、人生、わからない。
「10年間、こちらのお店で勉強させていただきました。今も感謝しています。私が入社した時は1店舗でしたが、退職するまで3店舗をオープンし、合計4店舗にすることができました。経営者のちかくで仕事をさせていただき、評価も頂戴しました。有名なコンサルティング会社もはいっていたもんですから、研修も多く、その点でも貴重な勉強ができたように思います。その焼肉店の経験を、今の会社の経営に活かしています」。
「小学生からサッカーをはじめて高校まで続け、高校の文化祭で笑いを取って、高校を卒業して、大学に進まず、漫才師になって。漫才だって、人気になるのは40くらいになってからでしょ。ぼくらは、さっさとあきらめちゃう。そういう軽い人生に、重みがくわわったのが、こちらでの10年だった気がします」。

日本学校開校。

「創業店は焼肉じゃなく、ラーメンです。市川塩浜に条件付きでしたが、1号店をオープンします。これが、33歳の時ですから2009年の11月です。2012年には東京の中央区に2号店をオープンします。以降、2015年までは1年に1店舗出店しています」。
3店舗目はイタリアン、4店舗目は馬肉専門店、5店舗になって焼肉店をはじめて開業。その一方で、2015年にはコンサルティング事業も開始している。
「外国人向けの日本語学校も開校しています。今は100人くらいの生徒がいます。主にフィリピンやネパール、モンゴル、スリランカなど東南アジアの子らが対象です」。
ホームページをひらくと、2018年に、フィリピンルソン島に株式会社フィリピンサンカルロス日本語学校を設立。韓国カンナム地区に株式会社コルチャを設立とある。
アイデアが浮かんでも、現実にするのはむずかしい。
「ぼくは、経営者というものはスタッフに対するやさしさ、思い遣りをもっているべきだと思います。じつは、日本語の学校も、ぼくの隣で仕事をしていた青年がきっかけなんです」。
ラーメン店のアルバイトの青年だ。
「海外から来たその青年は、日本語はたどたどしいし、日本についても知らない。でも、日本でがんばろうと来日したわけです。そういう青年は、ほかにもたくさんいるわけで、彼、彼女らをサポートするにはどうしたらいいかと、行きついたのが日本語学校だったんです」。
学校を卒業し、傑さくに入社してくれてもいい。もちろん、そうじゃない道も支援する。ちなみに、2016年には船橋市にらーめん学校を開校(のちに富里市七栄に移転)している。
これも志のある若者を支援するためだ。
実はこれだけではない。田中さんの思いは、様々な方向に広がっている。

オリーブティと東京オリーブ。

「千葉に東京ドームより広い土地を貸してくださる方がいて、オリーブの栽培を始めました。オリーブといえば瀬戸内海ですが、関東でもやれないかを模索して」。
オリーブといえば、オリーブの実を想像するが、そうではないらしい。「じつはね。オリーブの実より葉の方がポリフェノールは100倍多いと言われています。これをグリーンティ(緑茶)にしたり、ブラウンティ(紅茶)にしたり」。
千葉県の日のあたる山裾でオリーブの栽培をはじめる。
「これをね。有名にしたいですよね」と田中さん。
淡々と語るが、学校にしても、オリーブ園にしても、スケールがでかい。もう一つでかいことをやろうとしている。「今、東京オリーブっていうイタリアンなんですが、そのブランドがかなりいい感じで広がっています。これを基軸に株式の上場を目指すつもりです」。
こちらも自身のため、ではない。
「飲食で従業員に渡せるお金って、限度があるじゃないですか。うちもそうです。だから、みんな独立する。独立はもちろん支援しますが、僕と仕事をすることを選んでくれた人たちと一緒に、株式の上場という果実を分け合いたいと思っているんです」。
自身のためではなく、人のためにという思いがあるから、どんなスケールの大きなことでも可能にしてしまうに違いない。
目標は、5年後の上場とオリーブで日本一。
壮大な目標を掲げながら、お茶目な一面も見せる。「今でもね。社員旅行なんかすると、罰ゲームでお笑いをやったりします」。
どんな笑いなんだろう。人を笑顔に、幸せにする。その仕事は今もつづいている。

思い出のアルバム
 

この企業・代表の方にコンタクトを取りたい方

この企業にご興味のある方、コンタクトを取りたい方、また代表にメッセージを送りたいといった方は、下記フォームよりご登録下さい。当社が連絡を取り、返信させていただきます。
例)テレビ番組用に取材したい、自社の商品をPRしたい、この企業で働いてみたい、中学時代の同級生だった など