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第977回 株式会社マイルデザイン 代表 綱嶋恭介氏
update 24/02/27
株式会社マイルデザイン
綱嶋恭介氏
株式会社マイルデザイン 代表 綱嶋恭介氏
生年月日 1981年9月28日
プロフィール 専門学校卒。エーピーカンパニーで、執行役員、営業本部長を務めたのち独立。現在、「酒ワイン食堂 今日どう?」他4店鋪を経営している。
主な業態 「酒ワイン食堂 今日どう?」「寿司とワイン サンチャモニカ」「寿司とワイン サンフランスシコ」「ALISO」
企業HP https://sancha-monica.com/
https://sanfranscico.com/
https://sake-wine-kyodo.business.site/
https://raliho-gakudai.com/

歴史と、ジャイアンと。

今回、ご登場いただいたのは、マイルデザインの代表、綱嶋恭介さん。綱嶋さんは、1981年、東京の小岩に生まれる。
小学校で、野球と剣道を始めている。剣道は、徳川家康の影響だそう。
「子どもの頃、日光東照宮に連れて行ってもらって。徳川家康に興味をもち始めたのがきっかけです。漫画ですが、歴史の本で勉強して。家が裕福ではなかったので、じつはファミコン世代なんですが、ファミコンも、スーパーファミコンももってなかったんです。そう、だから本は好きでしたね。とくに、歴史の本が好きで、今も、キングダムには、ちゃんとハマっています(笑)」。
「本好き」というからてっきり大人しい少年だと思ったが、そうではないらしい。「むしろ、ドラえもんのジャイアンだった気がします。中学までがとくにジャイアンの傾向があって、カッとしたら、相手がだれでもすぐに手がでる。先生には、そういうことでよく怒られました」。
小学5年生は、剣道、野球に、バスケットボールがくわわった。本も、スポーツも、大好きな少年だった。

バスケと、音楽と。

「バスケにはハマりました。区の大会でベスト3になっています。楽しかったんですが、高校では、続けていません。今度は、音楽にハマります」。
お父様の影響もあるそうだ。
「子どもの頃から親父がローリング・ストーンズやビートルズを聴いていましたから、私も、ロックが好きになって。ローリング・ストーンズでいえばキースが格好いいな、と。ギターも始めます。高校の仲間とバンドを結成して」。
バイトもスタートする。月々5万円、多い時には17万円にもなったという。「カラオケでしょ。回転寿司に、もんじゃ焼。当時、バイトは許されていたんですが、バイク通学はNG」。バイト先に向かうため、購入したバイクでこっそり通学。公園などに駐めていたと笑う。
「偏差値もそれなりの高校だったので、基本は大学進学なんですが、私は音楽の専門学校に進みました。プロデビューが、もちろん目標です」。
<どうでしたか?>
「挫折といったら、この時です。そういう(音楽専門の)学校にくる子って、やっぱりむちゃむちゃ巧いです。練習量からして、比べものにならなかったんじゃないかな。当時の私に一言、『甘い!』って言ってやりたいですね」。
世界が違っていたとも言っている。
だから音楽は断念。
「30すぎても追っかけているなんて、当時は、それはないなと思っていたんです。これ自体、甘い!でしょ(笑)」。

外食のパワーに惹かれて。

専門学校を卒業して、フリーター生活を開始。牛角のオープニングスタッフに応募した。
「当時の牛角と言ったら、オープンのPM5時には行列ができていたんです。そのオープニングですからね。スタッフたちの間にも熱気もあって。バイトが、バイトじゃない(笑)」。
彼らの姿をみて、カルチャーショックを受けたと言っている。続きもある。
「あるフォーラムで彼らが壇上に立って、月次について話をするんです。アルバイトがですよ。正直、すごいなって。もう、私のイメージのなかにあるバイトじゃなかった。そういう意味で、外食ってすごいパワーがあるんだなって、気づくんです」。
<それでエーピーカンパニーですか?>
「いえ、最初は、牛角から独立した人に依頼されるかたちで、業務委託で店長の仕事をしていたんです。その仕事の3件目が、エーピーカンパニーの川崎にある『我が家』(現在、塚田農場)でした。私が、25歳の時です」。
<エーピーカンパニーの印象はいかがでしたか?>
「お店は特別じゃなかったんですが、社長の米山さんが、ほかの経営者とは違いました。それまでの2社では、そりゃ利益について言われます。人件費を下げろとか、原価を下げろとか。でも、米山さんはそういう話はいっさいしない。むしろ、うちは原価をこれこれに設定しているから、それを下げないでくれ、って。はじめての要望だったので、戸惑いましたが、話をするたびに米山さんに惹かれて。まだまだエーピーカンパニーの創業期の頃です」。
エーピーカンパニーは、「塚田農場」とともに、飲食の世界をトップクラスのスピードで駆け上がり、株式を上場する。「六次産業」という言葉を定着させたのも、エーピーカンパニーではなかろうか。
エーピーカンパニーに入社した綱嶋さんもまた、重要なポストを歴任し、執行役員、営業本部長にまでなっていく。「四十八漁場」を「塚田農場」に次ぐ柱にしたのも、綱嶋さんの功績の一つ。

起業と、人生で厳しかったことと。

当初は、子会社の社長になる予定だったと綱嶋さん。
「ところが、ふいに独立してやってみたいって思いが浮かんで。エーピーカンパニーには、すでに独立して活躍していた天野、大久保、高瀬さんなどの活躍に影響されていたのかもしれません」。
子会社の社長になる予定だったため、ワインの勉強もした。
「ワインも影響したかもしれないですね。ソムリエの資格も取得しています。今、ワインと寿司がうちのメインブランドなんです」。
いろんなことが重なって、独立。
最後に、綱嶋さんに今までいちばんきつかったのは、いつ?と聞いてみた。
「ダントツで四十八漁場の時ですね。2012年〜2015年の私は、昔のジャイアンに戻っていたみたいです(笑)」。
すべてうまくいかなかったそうだ。
「それまでも私は、立て直しを主にやっていたんで、業績がうまくいかないお店は、得意なほうだったんです。でも、四十八漁場だけはどうにもならない。なんでどうにもならないんだ?って」。
9店舗の半数がうまくいかない。内部の改善に力を注いでもうまくいかない。
「ブリって魚があるでしょ。ブリって実は、からだが大きいので、朝獲れより、寝かしたほうが旨いんです。でも、経営層は四十八漁場は鮮度がウリだから、ブリだって朝獲れがいいって」。
「違うんだ」と声を上げる。理解はしてくれても、では、どうすればいいか、答えはだれも持っていなかった。 
「人気の魚業態は、ぜんぶウオッチしました。ヒントがどこかにないかって」。
ジャイアンは、初めて、弱音を吐いた。
「スタッフの前で、すべてオープンにして言いました。このままでは四十八漁場はもうダメになる。みんなどうすればいいか教えてくれないか?って」。
この一言が、実は綱嶋さんの今をつくっているのではないか。
「一人相撲だった気がします。もっと、みんなを信じて、頼る。そうすることで、絆が生まれる。私が、牛角でみた風景はそこから生まれていたに違いないのに、忘れてしまっていたんですね」。
現在、綱嶋さんは、「酒ワイン食堂 今日どう?」「寿司とワイン サンチャモニカ」「寿司とワイン サンフランスシコ」「ALISO」の4店舗を経営している。
2019年創業だけに、コロナ禍が落ち着いた今(2024年)からが、本番になる。
飲食ではたらく楽しみを。もう一度、多くの人に。綱嶋さんが経営する株式会社マイルデザインがその起点となればいい。

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ギターをやっていた頃 APカンパニー時代  
 

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