年代別社長インデックス
掲載時期別社長インデックス
オススメ求人サイト
リンク
アプリラボ
第968回 株式会社sommet farm 代表取締役社長 大塚龍之介氏
update 24/01/09
株式会社sommet farm
大塚龍之介氏
株式会社sommet farm 代表取締役社長 大塚龍之介氏
生年月日 1995年8月4日
プロフィール 高校卒業後、故郷の栃木を離れ、スポーツスクールなどを経営する群馬の会社に就職したが、1年半勤めた後、栃木に戻る。その2ヵ月後、ふたたびバックを抱え東京へ。ハチ公前でキャッチに声をかけられ、紹介された居酒屋に就職。のちに仲間と鳥料理店を買い取り、経営をスタート。コロナ禍が始まるタイミングで店を手放し、栃木でセールスプロモーションの会社を起業する。それが「sommet farm」の始まり。企業理念は「原点にして頂点」。
主な業態 「Cafe Hanamori」
企業HP https://sommetfarm-inc.com/

定位置はサッカー部、キャプテン。

農業とIT企業とのハイブリッド。その昔は、海外にも行った。こちらは、お父様の話。今も栃木から品川まで出勤されているそう。3時間くらいかかると笑うのは、今回ご登場いただいたsommet farmの代表、大塚さんである。今回のインタビューは、大塚さんが上京された際にお時間をいただき行った。
「祖父の代にはいちごと米をつくっていました。親父の代で米農家になります。今は週末だけの農家です。栃木市は、栃木県の南で、言葉のイントネーションも標準語に近いです。ただ、田舎です(笑)。今は、小学校は2クラスですが、当時は1クラスだけ。周りは兼業農家ばかり。サッカーですか? 私はいとこの兄といっしょに小学校に上がる前からサッカーをしていました。サッカーが大好きで、1日中ボールを離さない子だったようです」。
雨になったら、サッカーができないと泣いたそう。小学2年生の試合。15-0で勝利。15点中14点を大塚さん1人で叩きだしている。
「最後の1点も実はキーパーを抜いてからパスをして」。
大塚さんは、MF(ボランチ)。小学4年生の時にスカウトされ、クラブチームに所属。大塚さんはキャプテンを務めている。6年生時に県選抜に選ばれ、韓国に遠征している。
「韓国の選手は日本人の私らとはプロへの意識がまるで違いました。ラフプレーも平気です。意識の違いがプレーの一つ一つに現れていた気がします」。
いい経験になったといっている。
「中学になると生徒数も多くなり、6クラスとなります。ただ、この中学校は栃木ではマンモス校です。サッカーのほうはクラブチームです。小学生の時もそうでしたが、中学でもキャプテン。ただ、意識が少しずつかわり、だんだんプロの世界が遠ざかっていきました」。
サッカー少年が、サッカー以外の道を模索するようになる。
「高校は特待で國學院大學栃木高等学校に進みます。私のなかでは文武両道で、選択した高校でした」。
高校になると、フィジカルとスピードだと大塚さんはいう。だから、山道を走った。10キロ、20キロと走る。「おかげで全校のマラソン大会では陸上選手もいるなかで3位以内をキープしていました(笑)」。

東京、ハチ公前。

進路は独りで決めた。
「群馬にある、介護のほかにスポーツのスクールを運営しているユニークな会社です。私は指導員で、5クラスを担当しました。指導員は大変でしたが、楽しかったのは間違いないです。ただ、給料が安くて。仕事は楽しくても、辞めないと生活ができない(笑)。それで、栃木に戻ります」。
2ヵ月後、大塚さんはバック一つ背負ってハチ公前でたたずんでいた。
「朝から晩まで座り込んでいました。東京へ出てきたのはいいものの、知人もいないし、行くあてもない(笑)。あの頃、夕方くらいになると、渋谷の街にはキャッチが現れるんです。そのうちの1人に声をかけ、居酒屋を紹介してもらいました。仕事はホールとキャッチです」。
楽しかったと、大塚さんは当時の話を続ける。「上京した頃は、お酒も飲んだことがなかったし、実は、居酒屋も知らなかった。だから、逆にハマったのかもしれません」。
キャッチで頭角を現す。渋谷のキャッチの間では、結構な有名人になる。
「私のほかにも有名なキャッチがいて、そのうちの1人と鳥料理店を買取り、事業をはじめます。共同経営のスタートです」。
これが6年前の話。
経営の経験はなかったが、キャッチの経験がある大塚さんからすれば冒険でもなんでもなかった。実際、すぐに繁盛する。「キャッチはだいたい4年くらいですね。経営者になってからもキャッチを続けます」。
当時の給料を聞いて、驚いた。20代前半の青年が手にする額ではない。
「まだ独身でしたし、自由になるお金は多かったです。もちろん、スタッフを連れて飲みに行ったりですね。経費のようなものも多かったです」。
大塚さんは、水道橋に2号店をオープンする。
「向こうはもう1人に任せて、私はこちらに専念、といきたかったんですが、私がいなくなると1号店の業績が下がって。だから、こっちとあっちを行き来していました」。
もう一人の経営者と少しずつ意見が食い違うようになったのはこの頃。どうなっていくんだろう。

栃木で、起業する。

「きっかけは、子どもができたことですね。子どもができて、結婚して。夜の仕事を卒業しようと」。
計算したわけではないが、絶妙なタイミングで、コロナウイルスが蔓延する。夜の街から人が逃げだした。
「私が仕事を離れてすぐにコロナ禍です。水道橋なんて、東京ドームで試合があっても無観客ですから直撃です。私は決めていた通り、お店を手放し、妻と子どもを連れて栃木に戻ります」。
<2度目は凱旋ですか?>
「今回は凱旋に近いですね。嫁も子どもも一緒ですから。会社も栃木で立ち上げます。それが今の『sommet farm』なんですが、事業はまったく違います。通信関連の仕事で、セールスプロモーションです。2〜3週間で、それなりの給料を取れるようになりました。キャッチを経験したおかげですね(笑)」。
社員も7名くらいまでになる。
「商材は携帯電話などから太陽光などのエコ商品まで広がります。業績は私が営業をしていますから、悪くはなかったです。ただ、私の場合、人生崖っぷちというか、一つのところに安住できない、というか。ある日、社員に『今のセールスプロモーションの事業はやめて、外食をする』って話をします。残る人は残ってくれ、と。今、うちにいる20代は、その時ついてきてくれた子らです」。
<大きな転換ですね?>
「セールスして終わりというのが違うなと。その思いが拭いきれなかったんです。飲食は違いますよね。食べていただいて、お酒を飲んでいただいて、楽しい記憶が残る」。
<とはいえ、飲食をするといっても何をするか決めていらしたんですか?>
「はい、そこは親父たちにリサーチ済みです(笑)」。

桜の番人、「Hanamori」。

実は大塚さん、フランチャイズ事業に興味があり、1年くらいかけリサーチしていたそうだ。
「親父にも聞いて(笑)。『定年後に何かするなら、カフェだな』って、親父もそうですが、みんなそう言います。そこからカフェ業態をベースにしたデリバリー&テイクアウトと、バルをプラスした、まったく新しい『Cafe Hanamori』が生まれます。私たちはフランチャイズ本部で直営店はほぼ持ちません。オーナーのみなさんからの評判も高く、現在15店舗。北海道や熊本、宮アにもオープンしています」。
「高い評価をいただくのは嬉しいですが、まだ今からというのが正直なところです。改良していきたい点もありますし、ブランディングの強化も進めます。来年には合計30店舗になる予定です。すでに計画が進んでいますので、予定通りになると思います」。
すごいスピードだ。昼と夜の二毛作だけではなく、テイクアウトやデリバリーをプラスした三毛作。オペレーションも難しくない。月商は300万円程度だというが、利益は十分にでる。
ところで、大塚さんは週末になると野良着を着る。
「週末、親父を手伝っています。育てたお米は。うちの社員の福利厚生と、商品開発用の米として利用しています。小さな頃から、農業をみてきましたから、農業を主体にした飲食業っていうのは、いつも頭にありますね」。
ホームページをみると、たしかに次々と新店がオープンしていることがわかる。オーナーだけではなく、消費者の心をとらえている証に違いない。
ちなみに、店名の「Hanamori」は、「桜の花の番人」を指す「花守」だという。
大塚さんは、エネルギッシュに押すのが得意なタイプのように思っていたが、違うのかもしれない。もちろん、行動力と決断力は、大塚さんの武器だ。だが、言葉の響きも、意味も素敵な「Hanamori」。この言葉を選択するセンスがいい。
春には「Hanamori」でドリンクとフードをテイクアウトして、桜の花を愛でてみよう。

思い出のアルバム
 

この企業・代表の方にコンタクトを取りたい方

この企業にご興味のある方、コンタクトを取りたい方、また代表にメッセージを送りたいといった方は、下記フォームよりご登録下さい。当社が連絡を取り、返信させていただきます。
例)テレビ番組用に取材したい、自社の商品をPRしたい、この企業で働いてみたい、中学時代の同級生だった など