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第964回 株式会社FULL AT TABLE 共同経営 鈴木成明氏、矢吹通康氏
update 23/12/12
株式会社FULL AT TABLE
鈴木成明氏、矢吹通康氏
株式会社FULL AT TABLE 共同経営 鈴木成明氏、矢吹通康氏
生年月日 鈴木氏:1975年11月14日
矢吹氏:1977年1月6日
プロフィール 鈴木氏:東京都出身。駒澤大学卒。大学時代、音楽と出会いDJとして活動を開始。30歳まで飲食のアルバイトを続けながら音楽活動も続ける。30歳で音楽から離れ、アルバイト先だった会社に就職。30歳から39歳まで在籍し独立。矢吹氏とともに「株式会社FULL AT TABLE」を立ち上げる。FULL AT TABLEのコンセプトは、「テーブルを笑顔で満たす」
矢吹氏:岡山県出身。駒澤大学卒。大手居酒屋チェーンに就職。店舗運営からスタートしたのち、システム開発に異動。のちにアプリ開発の会社に転職し、34歳でIT会社を設立。ベトナムで仕事をしていたが、会社を売却し帰国。飲食のコンサルティングを行う一方で、鈴木氏とともに「株式会社FULL AT TABLE」を立ち上げる。
主な業態 「目黒FLAT」「馬場FLAT」「権之助FLAT」「Crispy's Burger」他
企業HP https://fullattable.com/

異なる世界と別々の道。

<矢吹さんのご実家は海の見える街で、次の駅は、瀬戸内海の対岸にあるわけですね?>
「そうなんです。私が生まれたのは倉敷市の児島というところで、瀬戸大橋を渡る本州最後の駅が、児島って言うんです。次の駅はもう四国です」。
父親は水島コンビナートで勤務。母親は保育士さん。姉がいて2人姉弟。
「父親は、仕事から帰ってきたら釣りに行ったり、畑をやっていたりました」。
田舎といえば田舎。
「高校までバレーボールをしいていたんですが、高校の途中でリタイアします。真剣なクラブじゃなかったこともあって、だんだん距離を置いてしまったんです。それからは結構遊んでしまい、おかげで大学も一浪して入ることになりました」。
<鈴木さんは、どちら生まれですか?>
「私は、矢吹と違って、もとから東京です」。
「それもど真ん中の渋谷だよね(笑)」。
「そう。ただ、渋谷といっても新宿が近くて。授業が終わったら新宿のゲーセンへGOです(笑)」。
鈴木氏の母親はスナックを経営されていたそう。父親は元料理人。
「男同士ですが、私も2人兄弟の弟です。その兄とは11歳、歳が離れています」。
母親が忙しい分、料理は父親担当だったらしい。
「元料理人ですからね。何を食べてもおいしかった。兄弟2人とも飲食に進んだのは母親の影響はもちろんですが、父親の料理を食べて育ったからのような気がしています」。
岡山の倉敷市児島に生まれたのが矢吹氏で、渋谷生まれが鈴木氏。距離にすれば、800キロくらいだろうか。月明かりとネオンの明かり。波の音と雑踏の足音。東京への憧れと、満員電車の苦痛と。
2人はまだ異なった世界で、別々の道を進んでいる。

2人の出会いと、異なる道へ。

<矢吹さんと鈴木さんは大手の居酒屋チェーンで出会ったそうですね?>
「そうです。2人とも表参道にできた大手居酒屋チェーン店のオープニングスタッフとしてアルバイトを始めます」。
「あの頃はそのチェーン店の全盛期で、とにかく忙しかった。ただ、オープニングですからね。私と矢吹はたまたま歳が近かったですが、歳が離れている他のアルバイトともみんな同期って感じで楽しかったですね」。
<最初から同じ大学だって知っていた?>
「いえいえ、全然知らなくって。ただ、いろんな話しているうちに、ヘンに共通の話題があって。あれ?って」
「え?!鈴木くんも駒澤!?みたいな(笑)」。
<それで、急速に距離が縮まるわけですね?>
「う〜ん。そうでもなかったかな(笑)」。
「え?そうだっけ?結構ふたりで遊びましたよ。(笑)私は大学を卒業して、そのままそちらのチェーン店で社員になるんですが、鈴木はヒップホップでDJをやり、プロを目指します」。
<DJ?>
「大学時代に音楽に出会って、30歳まで続けます。生活はギリギリでしたが。アルバイトをしながら食べていきます」。
<鈴木さんがジェイプロジェクトでアルバイトを始めるのはいつ頃ですか?>
「28歳の時ですね。まだ東京で2店舗だけの頃でしたから、ある意味いちばん熱かった頃かもしれません。新田社長(現ジェイグループホールディングス会長)はもちろん、マネージャーもみんな、とにかく格好いい。スター揃いでした。2年間アルバイトをして、すっかり惚れ込んでしまって、30歳で音楽にケリをつけて、就職します」。
「料理も音楽も一緒だって気づいたんだよね?」
「そう。どちらも人を動かすでしょ」。
「親父さんの影響もあるんでしょうが、鈴木くんはチェーン店の時からキッチンでした。もともと、鈴木くんは私と違ってクリエイティブなんです」。
<矢吹さんは、そのままチェーン店に就職されましたが、そのあとどうされたんですか?>
「矢吹は矢吹で、結構、波瀾万丈というか」。
「その会社で、飲食は飲食でもぜんぜん畑違いのシステム部に27歳で異動します。何千人も動かすシステムの開発担当として。そのあと30歳の時にアプリを開発するITベンチャーに転職します。たまたま大手ハンバーガーチェーンのシステム開発という案件があって、私のキャリアが評価されたんだと思います。そちらに4年いて、実は34歳で独立してIT会社を起業します」。

飲食のチカラが、2人を結びつける。

なんでも起業した矢吹氏は、ベトナムに渡りエンジニアと2人でアプリの開発をしていたそうだ。ジェイプロジェクトの一員となって東京で汗を流す鈴木氏と、ベトナムでアプリ開発に明け暮れる矢吹氏。
「鈴木くんは結構マメなところがあって、時々『どうしている?』って連絡をくれるんです」。
「だから、お互いの状況はわかっていましたが、当時は共同で飲食店を経営するなんてまったく思ってなかったですね。私の場合、飲食で独立というのは延長線上ですが、矢吹はなんといってもITですからね(笑)」。
<矢吹さんは、どうして飲食に戻ってこられたんですか?>
「起業した会社なんですが、実はこの会社を2年くらいで売却します。その頃、ベトナムはとても活気があって経済も立ち上がってきたところでしたから、これはITより飲食をやったほうがいいなと。売却したことでお金もありましたし。帰国して、『ベトナムでドーナツショップをやりたい』という話を知り合いにしていると、有名なベーカリーを経営している知人が『ドーナツもパンの一種だから、うちで勉強したらどうだ?』って、言ってくれて」。
<IT会社の社長から、ドーナツ店のオーナーですか?>
「ですね(笑)。飲食にもIT同様のベンチャー企業をつくるパワーがあると思ったんです」。
飲食のチカラが、2人を結びつける。
「最初から一緒にやろうっていう話ではなくって。鈴木くんが独立するって聞いたので、うちの創業店ともなる今の目黒の店舗を紹介したんです」。
「矢吹は当時から飲食のコンサルをしていて、あるオーナーに相談された物件の話を私に紹介してくれたんです。ただ、私は私で、出店の計画を進めていたので、話はなくなりかけていたんですが。矢吹が一緒にやろうと言い出して」。
「私と鈴木くんはタイプが違うんですよね。得意分野も違うし。そういう2人だから一緒にやったら、いい化学反応が起こるんじゃないかと。それで、ベトナムのドーナツはいったん置いといて(笑)」。
「私がやりたかったのは『やきとり』だったんです。ただ、中島っていうパンのシェフが加わってくれることになって。だから、創業店はパンとワインのお店になりました」。
<パンとワインの目黒FLATですね?> 「そうです」。

2つのタレントが描く、1つの未来。

<今では、カフェも居酒屋もありますね?>
「おかげさまで事業は広がっています。私たちは2015年4月に目黒FLATをオープンして、10月に馬場FLATをオープンします。その後も、1年に1店舗程度のペースで居酒屋を含め出店し、現在は合計7店舗を運営しています。その一方で、運営の代行や、自家製パンの卸販売も行っています」。
<ほかにもクリエイティブ事業や、運営委託やコンサルティングもされていますね?>
「鈴木くんはブランディングがうまくって。店舗プロデュースなどのクリエイティブな仕事を担当し、私のほうは外部との交渉役やコンサルティングを担っています」。
鈴木氏が大方針をつくる。メニューづくりも鈴木氏の仕事。
「鈴木くんは右脳派です。アーティストっていうんでしょうか?プロダクトやチームビルディングを得意としています。あんまり表に出たがらず、フィクサー的な感じですかね(笑)」。
「代わりに矢吹が対外的な交渉や、ファイナンスもそうですが、そういう仕事をやってくれています。私は一つのモノに深く入っちゃうんですが、矢吹は広く浅く、視野も広いんです」。
<ところで、創業時、不安はなかったですか?>
「ぜんぜんなかったですね。とにかく、めちゃくちゃ楽しかった」。
<矢吹さんも同じですか?>
「そうですね。私がコンサルの仕事をしていましたので、そちらの報酬も少なからずありました。いちばん大変だったのは、コロナの頃ですね。飲食はどこでもそうだったと思いますが、とにかく、お金を借りられるだけ借りて」。
「矢吹のおかげで、資金的になんとか乗り切ることができました。ようやく、コロナも落ち着いてきたことで、業績は戻ってきていますが、この3年間は辛かったですね。デリバリーとかもするんですが、本筋じゃないというか、消化試合みたいな感じで」。
「そういう意味では、飲食の楽しみも戻ってきたかな。お客様の心を動かす、めちゃくちゃ楽しい時間が戻ってきたと感じています」。
「今後は、出店よりも社内の濃度を上げたいなと。たとえば、スタッフ同士が気軽に食事に行けるような手当をつくるとか、休みを今まで以上にするとか。コロナを乗り越えたことで、2人でやりたいことがまたたくさん出てきました」。
<それも2人だからできることですか?>
「そうですね。役割が違う2人が1つになってやることでパワーが生まれると思います」。
<素直な質問ですが、喧嘩はしないんですか?>
「喧嘩ですか?ゼロではないですが、喧嘩をしても仲直りができるかどうかが大事かなと思っています。お互いに欲が出過ぎるとダメになるとは思いますが、そういう性格でもないし(笑)」。
漫才で言えばボケとツッコミ。
役割が違えど、違う才能が一つになって笑いが取れる。
ひょっとすれば2人の場合、事業もそうかもしれない。
「大学が一緒で、バイト先で知り合って。そういう意味では長い付き合いですね。コロナは大変でしたが、今からまた、チャレンジです。矢吹が言っていたベトナムじゃないですが、世界へというのもいいですね」。
「そうですね。東京から世界へ、飲食の楽しみを広げていく。そんな仕事もやっていきたいよね」。
生まれも、育ちも、個性も異なる、2つのタレントが描く、1つの未来。
それは、どんな未来を描くことになるんだろう?
飲食はやはり、楽しい。

思い出のアルバム
 

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