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第963回 株式会社Pay it Forward 代表取締役 宮﨑元成氏
update 23/12/05
株式会社Pay it Forward
宮﨑元成氏
株式会社Pay it Forward 代表取締役 宮﨑元成氏
生年月日 1991年5月21日
プロフィール 大学生の時、厳しさを求め「なかめのてっぺん」に入店。あまりの厳しさに、オーストラリアに逃亡。オーストラリアで、レストランをオープンしたが、3ヵ月でクローズ。飲食の真の厳しさを知る。帰国後、再度、「なかめのてっぺん」に戻り、最短、最年少で店長に駆け上がる。「なかめのてっぺん」でお世話になった社長の内山氏に背中を押されるように、29歳で起業する。
主な業態 「マグロと炉端 成る」「マグロスタンダード」
企業HP https://maguro-robata-naru.com/
https://maguro-standard.com/
https://maguro-standard-kinshicho.com/

父親と、野球の話。

目が覚めると父はもう仕事に出かけていた。
「父親は結構、波乱万丈の人生を送っています。水産関連の会社を起こし、現在はその会社をバイアウトして顧問を3社ほどやっています。私が小さな頃は、とにかく大変だったようで、午後10時くらいに帰宅して午前3時にはもう出かけるといった生活を送っていました。思い出は、日曜日の朝に一緒にコンビニに行ったくらいです(笑)」。
2023年11月のインタビュー時、お父様もまだ63歳というからお若い。
「もともと長崎出身で、裕福な家の出だったようです。ただ、祖父が人に騙され地元にいられなくなって上京したといっています。父は大学を中退し独立。父もまた人がよく、人に騙されるなどして苦労したそうです」。
ちなみに、お父様が通われていた高校は、長崎の海星高校。ヤクルトに入団し、サッシーの名称で親しまれた酒井圭一元プロ野球選手の出身高でもある。父親と交流があり、それが縁でヤクルトファンになったという。
ちなみに、お父様が創業した会社の社名は「かいせい物産」。祖父が批判され地元にいられなくなった際に、学校がかばい続けてくれた。その恩を忘れず社名に母校の名を付けられたそうだ。お父様の人柄がわかるエピソードでもある。
さて、父親が奮闘する一方、息子の宮﨑氏は、どうだったんだろう?
「野球は小学生の頃から始め、松坂大輔さんが所属していたチームでプレイします。中学生になるとクラブチームからオファーがあって入団。中2でベンチ入りもするんですが、3年になってなぜか3軍の子がいきなりレギュラーになったことに納得ができず、練習にも行かなくなってしまいました」。
大人の身勝手さ。理由を聞くとこちらまで、やるせなくなってしまう。
「周りから説得されて卒業までは続けましたが、もう野球を続ける気持ちはなくなっていました。高校は父の母校から声をかけていただくんですが、入部テストだけ受けて、進んだのは木更津の全寮制の高校です」。

逃亡先は、オーストラリア。

<大学時代の宮﨑さんを教えてください>
「アルバイトばっかりですね。色々、転々としていたんですが、大学2年の時に株式会社MUGENの内山正宏社長が経営されている『なかめのてっぺん』でアルバイトを始めます」。
<熱気ムンムンですよね? どうして、なかめのてっぺんに?>
「父が周りから『社長』と呼ばれていたこともあって、小さな頃からその響きに憧れていたんです。また、起業するなら飲食で、とも思っていましたから、そのために、アルバイトも飲食中心です。でも、アルバイトだからかもしれませんが、いずれもぬるい(笑)」。
<ひょっとして、厳しさを求めて、「なかめのてっぺん」に?>
「父親に、大学卒業までもう2年しかないので、ぬるい感じじゃなく、ちゃんと修業できるような店を紹介してくれって頼みます。それじゃぁと紹介されたのが内山社長だったんです」。
<たしかに、ぬるくはないですね(笑)>
「今度は、内山社長から店長に『宮﨑さんとこの息子だから、厳しく躾けてやってくれ』っておふれが回っていたんでしょうね。むちゃくちゃ厳しい指導が続きます。怒られているんじゃなく、叱られているんだとわかっていても、毎月、胃腸炎です(笑)。でも、言い出しっぺは私ですから、辞めるに辞められません。だから、悶々とした日々を送り、結局、オーストラリアに逃亡します」。
「海外に行きたい」というのが、逃亡の言い訳。逃亡さえできれば、オーストラリアでなくてもどこでもよかったに違いない。
「向こうでも飲食でアルバイトをします。1年半した頃でしょうか、日本人ですが、向こうで知り合った人とハンバーグレストランを共同でオープンします。私にとって、『飲食』=『なかめのてっぺん』でしたから、ショップをオープンすれば客が来ると思い込んでいたんです」。
<でも、来なかった?>
「ええ、ぜんぜん(笑)。20坪程度の小さな店だったんですが。結局、給料も支給されることなく、2〜3ヵ月で潰れてしまいます」。
<異国だから、どうすべきか悩みますね?>
「そうです。その時、父と一緒に内山社長がいらしてくださるんです。そして、顔をみるなり『大丈夫か』って」。

現実を知った青年の覚悟と宣言。

「内山社長が『3ヵ月したら戻って来い』って言ってくださいます。『ただし、戻ってくるならアルバイトのような立場じゃないぞ』って」。
<それでどう答えられたんですか?>
「NOという返答はもちろんありません。オーストラリアでは、ほんとうの意味で『飲食の厳しさ』を知りました」。
<それと比較すれば、『なかめのてっぺん』も、厳しいうちに入らない?>
「そうです。父親のように社長になるんだろうなと思っていただけで、覚悟がまったく足りなかった。逃亡先のオーストラリアで初めて現実を知って、何が足りなかったかを知ります。ただ、それで凹むことはなかったです。厳しすぎる現実が、逆に、私のなかで闘志を生みます。その意味では、オーストラリアでの経験も、私にとってはいい経験でした」。
覚悟を決めた宮﨑氏は、内山氏に宣言している。
「社員にしてください。最短記録で店長に昇格します」。
お父様の宮﨑成人氏は、あるインタビューを受け「困難は人を成長させるからこそ、諦めてはいけない」とおっしゃっている。そういう意味で、息子の宣言を聞き、目を細めておられたのではないだろうか。わざわざオーストラリアまで出かけた価値もあったというものだ。

最年少、最短の新記録と、独立。

宮﨑氏は、宣言通り、最年少、最短で店長に就任している。「もちろん、昔と同じようにハードでしたが、ハラが決まれば、見える風景も、言葉の受け止め方もぜんぜん違ってきます」。
罵声を受けても、それが気付きにつながれば、罵声が、貴重なアドバイスになる。
「内山社長の下で4年お世話になり、28歳の時に卒業します。ただ、コロナ禍が始まり、起業は先送りです。沖縄や川崎で知り合いの新店の立ち上げをサポートしたり、出前館などでエリアの調査もしました。実は、もう一度、サラリーマンに戻るか、でも、戻ったら、次はないな、と思っている時に、内山社長から背中を押していただいて、29歳、2021年の3月に炉端焼きを錦糸町にオープンします」。
<コロナ禍の只中ですね?>
「補助金も下りませんでしたから、通常営業をするしかなかったです。SNSで地元の方を中心にフォローして、通常営業をピーアールしていきました」。
<コロナ禍のオープンです。戦略はあったんですか?>
「戦略という意味では、コロナ禍かどうかは関係なく、地元の人をお客様にと思っていました。価格帯は、当時、錦糸町にはなかった4000円〜5000円です。ちょっと高めだけど、それ以上に価値があることをコンセプトにオープンします」。
<難しいロケーションですよね>
「そうですね。錦糸町のオーナーに聞いたら、全員、『あそこはやめておけって』。『12月でも500万円が精一杯』という腰を折るようなアドバイスもいただきました(笑)」。
ただ、無理と言われると、逆に闘志がわくタイプ。
「東京といっても、錦糸町は下町なんです。ここらで育った人は街を出ない。それを知っていましたから。SNSで彼らをフォローし、発信していきました」。
<どうでしたか?>
「18坪だったので、損益分岐点は330万円に設定していました。ところが、オープン初月から1000万円をオーバーです」。
コロナ禍の下の飲食難民を救った格好だが、すべてがちゃんと計算されている。
コロナ禍で打って出たことも、結果としては幸いした。

縁がつながり、バトンがつながった。SDGsで、マグロ、再発見。

宮﨑氏は翌年、門前仲町に2号店をオープンする。
「もともと私の父親が、ここで飲食店を経営していたんです。それを内山社長が引き継いでくださって、私にバトンを渡してくださいました」。
<バトンがつながったということですね?>
「そうです。つないでくださったのは、内山社長です」。
知人から預かった店を、その息子に譲る。内山氏の生き様もまた、しびれるくらい、かっこいい。
ビジネスではもちろん、両者の遺伝子を引き継いでいる。
<マグロの焼肉なんですよね?>
「父親が水産関係の会社をやっていましたので、魚に関しては、いろんな情報が入ってきます。一方、門前仲町は焼肉が多いエリアなんですね。で、ひらめいたのがマグロの焼肉です」。
ホームページをみると、たしかに、焼肉スタイル。ロースターで次々、マグロが焼かれていく。
<メニューをみました。脳天やハツ、マグチョウ、上ミノやレバー、テールもあるんですね?>
「なかなかほかでは食べられません。でも、めちゃめちゃ旨いです。内山社長のもったいない精神ではないですが、キャベツの芯やネギの青い部分も利用しています」。
<最初からマグロ狙いだったんですか?>
「いえいえ、少し違います。コロナ禍では生産者も大変だったんですよね。一方で、食料廃棄の問題がクローズアップされていました。私たちは小さなお店ですが、何かできることはないか、と。魚屋さんや八百屋さんに、毎日のように連絡を入れました。賞味期限が迫って困っていると聞けば、全量買い取らせていただきました。そんなことを続けていると、いつの間にかお願いしていないものまで届くようになります(笑)」。
「頼んでないよ」というと、「入れといたよ」との返答。
「だから、最終的には私らも何が送られてくるのか、何が送られてきたのかも発泡スチロールを開けるまでわからないんです。でも、そういうのが、だんだん楽しみになってきて」と宮﨑氏。
「お客様にも、賞味期限が近いぶん安く提供することができますし、SDGsの観点から逆に評価をいただくんです。このとき、アルバイトの若い子がみんなむちゃくちゃ頑張ってくれて。SNSで発信しまくってくれるんです」。
一つのエピソード。
「ある時、そばが200食、タイムリミットまで10日っていうのがあって困ってらっしゃいました。連絡をいただいたので『全部ください』です。ただ、10日で200食はさすがにきついなと思っていたんです」。
蕎麦屋ではないのだから、さすがにきつい、というのも頷ける。
「でも、うちの子らも経営者に似て、逆に闘志がわくんでしょうね。みんなが団結してくれて。お客様のなかにも『そういうことだったら3人前くれ」なんて人もいて。1週間で、完売しちゃうんです」。
<すごい話ですね。マグロはその延長線上ですね?>
「外食SXに参加し、CSV経営を知ります。このCSV経営のコンセプトをど真ん中に置いてスタートしたのが、門前仲町の2号店です。焼肉が多いといいましたが、ロケーション的に魚業態の居酒屋も少なくないんです。うちの店にくるまで、そうした居酒屋が十数店ありますから、少なくとも同じ業態ではお客様は入らない。その時、焼肉が根付いていることを知って、マグロを焼肉にしたら目的来店を促せるんじゃないかと。女性のパイを取れれば、ここらでは独り勝ちだという狙いもあり、ロゴも可愛らしくして(笑)」。
マグロの内臓は、もちろん一般的ではない。船の上で捨てられていたらしい。
「最初、食べさせてくれって言った時には、ほんとに食べるの?って。でも食べて見ると、みんな旨いってなって。鮮度はもちろん大事ですから、うちは直送してもらっています」。
マグロの内臓の価値。マグロ好きの日本人にしては、ずいぶん長く、見逃してきたもんだ。
「ですね。それが今、うちの店で再発見されています」。

マグロスタンダードの偉業。

宮﨑氏がいうCSV経営とは「企業が社会的な課題を事業機会として捉えるための戦略的プロセス」である。この戦略的なプロセスをど真ん中に置いたのが、「マグロスタンダード」。メガヒットを記録する。
「宣伝もしていないんですが、かってにブランドが広がって。ヒルナンデス、NHK ラジオ、東京グルメには、プライベートでいらっしゃっていた方が、東京グルメの方で、紹介したいと無料で掲載いただいて」。
バズったそうだ。
グルメサイトでも確認したが、かなりの高得点を獲得している。
日本人の常識をひっくり返した。大袈裟でなく、偉業である。これからは、これがマグロの、スタンダード。

思い出のアルバム
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幼少期 MUGEN時代 シドニー留学時代
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シドニー留学時代 シドニーのハンバーグレストラン外観 独立当時
 

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