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第960回 株式会社CHIYO 代表取締役 千代谷崇史氏
update 23/11/14
株式会社CHIYO
千代谷崇史氏
株式会社CHIYO 代表取締役 千代谷崇史氏
生年月日 1977年7月18日
プロフィール 高校生時代は雑誌のモデルとして活躍。マーケティング会社を経て、22歳でグローバルダイニングに入社。26歳で店長、27歳でエリアマネージャーに昇格し、29歳で独立する。
主な業態 「丸玄」「丸玄ミート」「RACCONTO」「レインボーハット」他、店舗運営代行、イベント運営代行多数
企業HP https://www.chi-yo.jp/

モデルで活躍。高校時代の話。

読者モデルだった。
「あの当時は、読者モデルの全盛期。私が高校1年生、2年生の頃のことです。付き合いで、派手なグループのメンバーに所属していたのも、この頃。そういえば、今、TVで人気の女子アナもメンバーの1人でした」。
雑誌名をたずねると「egg」「ポップティーン」などの名が挙がる。
ホームグラウンドは渋谷。ラジオでDJとしゃべっていたとも言っている。千代谷氏にとっても全盛期。
この話からは、その昔、千葉に引っ越し、カルチャーショックを受けたナイーブな少年の姿は想像できない。
千代谷氏は1977年東京都目黒区に生まれる。父親の仕事の関係で幼稚園から小学4年生の1学期までは福岡。千葉に引っ越したのは、小学4年生の2学期からで、この時にカルチャーショックを受けている。
「子どもの頃は、いい子ちゃんだったと思いますね。ただ、周りを察知することに長けていたんでしょうね。相手によって顔を使い分けていたように思います」。
走るのがはやく、野球が巧い。たぶん、明るい少年だったんだろう。
「勉強はぜんぜんしなかったですね。あれは、性格的に合わない笑。親から『勉強しろ』とは言われましたが、結果についてはとやかく言われなかった。だから、まぁ、やったふりというか笑」。
とにかく、「やりたいことをやらせてくれた」と、ご両親には感謝しているとのこと。
「小学校で野球をはじめ、中学でも野球部です。高校の時の、モデルの話はもうしましたが、じつは、もう一つ、高校時代から、マーケティングの仕事もしていました」。
月20万円くらいになったというからびっくりする。

グローバルダイニングへ。人生の舵が飲食に向く。

2浪人して進んだのは、大学ではなくマーケティング会社。「とくにやりたいこともなかったんで進学を希望していたんですが、2浪目になってマーケティングをしたいと思いはじめたんです」。
それで就職?
「そうです。今は、かなり大きなイベント会社になっていますが、私が就職した頃はまだ5〜6名の小さなマーケティング会社でした。高校生のネットワークをつかって、マーケティングするのが主な事業でした」。
やりたいと思ってはじめた仕事だったが、色々あって、ストレスもたまる。
「ある人の紹介で、当時の、グローバルダイニングのトッププレイヤーにお会いして、新しい道がはじまります」。
それが飲食の始まりですね?
「当時、いちばんやりたくなかったのが飲食です笑。けっきょく、グローバルダイニングで仕事をするようになって、大好きになるんですが」。
ウェイターを補佐するバスという役割だったそう。「デザートだけはオーダーを取ることが許された」と笑う。

バイト時代のスター、店長になって輝きを失う。

千代谷氏が仕事をはじめたのは、ラ・ボエム。グローバルダイニングの基幹ブランドの一つ。26歳で、店長にも昇格している。要因は「おそらく人材がいなかったから」とこちらを笑わせる。
「バイトの時は、スターだったんですが、店長になったとたんなにもできない。マネジメントができなかったんです。クレームの嵐。社長にまで、わざわざ大クレームをいれた人までいました」。
凹みますね。
「マネジメントなんてしたことがないですからね。空回りばかりしていました。ただ、ある時からスタッフを信じて任せる方針に転換。社長にも、店長職にとどまるように言っていただいたこともあって、店長をつづけていくと、ある時から状況が一変し、売上はもちろん利益率でもトップになります」。
26歳から27歳までのわずか1年だったが、何年にも匹敵したのではないか。濃厚な日々。会社の評価も上がり、27歳でエリアマネージャーに昇格している。

40代、50代の,はたらき盛りがいない事実。

「グローバルダイニングを退職したのは29歳の時です。もともとは、もっと早くやめるつもりだったんですが」。
ホームページで千代谷氏は「一般企業でいう、はたらき盛りの40〜50代が飲食店の現場には少ないことに気づいた」と言っている。
たしかに、その通り!と膝を叩きたくなった。千代谷氏の指摘は、飲食の問題にズバリ切り込んでいる。じつは、これが起業の背景だともいう。
「飲食というのは、若い人中心のビジネスなんですね。色々な要因がありますが、私は、その問題に切り込んでいかない限り、飲食の未来ないと思うようになるんです」。
その話にも頷ける。
「それで、私が選択したのが、運営代行というスタイルです。経験を積んだスペシャリストたちが、オペレーションすることで高品質のサービスをお客様に提供できると考えたんです」。
「もちろん、資金がなかったことも、運営代行を選択した理由の一つ」と言っている。

資本と運営が対等な立場で共存する世界。

今や運営代行の実績店舗数は50店舗に及び、イベントの運営代行の実績も二ケタに登る。
ただし、千代谷氏は「今年2023年は、直営店をだす」と言っている。今まで、直営店がないがしろになっていたのがその理由。
イベントにもちからを注ぐ。「この領域は、競合も少ないです。コスメ×カフェの運営が多いかな」。いずれの場合も、お願いされたら引き受けるというのが、千代谷氏の流儀。
ある記事で、「こちらから営業をかけると上下関係が生まれ、現場ではたらくスタッフにしわ寄せがくる」というようなことを話している。
上下関係があるとけっきょく、うまくいかない。
「相手の会社には資金とコンセプトがあり、うちにはオペレーションに長けた人がいる。両社は、最初からイーブンな関係なんですね。その関係が成り立って、はじめて私たちは、店の運営に愛情を注げ、結果として、売上や利益もアップするんです」。
たしかに、これも正論。
話を聞いているといつの間にか、千代谷氏の理論に引き込まれていた。資本のある会社がコンセプトをつくり、運営を、プロのCHIYOに託す。大いにありだ。
資本と運営の対等な立場での共存。
今後の飲食のカギになるかもしれない。
いずれにしても、千代谷氏が率いるCHIYOでは、優れた飲食のプロフェッショナルと、そのたまごたちが、今日も出番を待っている。

思い出のアルバム
 

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