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第201回 株式会社マカフーヒアDining 代表取締役 鈴木正昭氏
update 11/01/25
株式会社マカフーヒアDining
鈴木正昭氏
株式会社マカフーヒアDining 代表取締役 鈴木正昭氏
生年月日 1975年9月11日生まれ。
プロフィール 東京都足立区出身。実家はラーメン店を営んでいた。1階が店舗 2階が自宅。父と母2人で営むような小さな店だったが、2人の子ども達にとっては何より愛着のある店である。幼い頃から飲食の仕事を見てきたこともあるのだろう。高校1年生の夏から飲食店でアルバイトを始め、卒業後、迷わず飲食の世界へ飛び込んでいる。「銀座アスター」で本格中華を学び、「ラムラ」が経営する「過門香」で新たな中華のジャンルを知る。その後、「ムジャキスーズ」に転職。ラーメンの奥深さを知ると共に経営・マネジメントを学び、2007年独立。2009年1月に「株式会社マカフーヒアDining」設立。現在、「中華麺ダイニング鶴亀飯店」「北海豚骨麺屋 銀鈴」「四川担々麺荘 彩たまや」「らーめん しおの風」の4店舗を構えている。
主な業態 「鶴亀飯店」「銀鈴」「彩たまや」「しおの風」
企業HP http://www.tsurukamehanten.com/
ラーメンブームがやってきたのはいつ頃からだろうか。グルメサイトを賑わし、ラーメン店専門の情報誌も少なくない。開店前から行列をなし、1時間以上待たなければ入店できない人気店もあるようだ。今回、ご登場いただく、「株式会社マカフーヒアDining」の代表取締役社長 鈴木正昭は、幼少の時から父がつくるラーメンを食してきた一人。彼、自身、本格中華を学んだにも関わらず、一杯のラーメンに行き着いた。今回は、鈴木の過去を振り返りながらラーメンが持つ魅力も探ってみよう。

愛情たっぷりのラーメン店で、育つ。

東京都足立区にあるラーメン店というから、カテゴリーでいえば東京ラーメンだったのだろう。父母が夫婦でやりくりする小さなラーメン店だったが、愛情が詰まった店だった。忙しい仕事の合間を縫い、両親は子ども達2人を育て、たまには店を休み家族旅行にも連れて行ってくれたりもした。鈴木が生まれたのは1975年。昭和でいえば50年。「マクドナルド」や「ケンタッキー」などファストフードが定着し、ファミリーレストランが人気を博していた頃だ。セントラルキッチンなどを備えた大型企業が誕生し、チェーンオペレーションなる言葉も認知され始めた。日本の飲食業が「産業」として語られ始めたのも、この頃だろう。時代は動きつつあった。だが、子ども時代の鈴木は、そんなことを知る由もなく「絵を描く」ことに夢中になっていた。

人生を描き始めた高校生時代。

高校1年の夏から鈴木は、飲食店でアルバイトを開始する。「100時間働けば、これが買える」という単純な動機だった。卒業するまで同じ店で働いた。時給が良かったことと、周りの先輩たちが可愛がってくれたからだ。覚えも良かったのだろう。先輩たちにも触発されながら、鈴木もまた飲食店で働くおもしろさを実感していく。だが、この当時の鈴木は、将来、店を持つというよりもむしろ料理の腕を極めたいと思っていた。実家がラーメン店ということもあったのかもしれない。「豊富な種類の料理をつくってみたい」。高校卒業と同時に、「銀座アスター」に就職する。

銀座アスターに8年在籍。

「銀座アスター」は、客単価1万円を超えるような高級中華料理店だ。繁忙期には月商が億を超える月もあった、という。この高級中華料理店「銀座アスター」が、鈴木の出発点。新卒200名の中の1人として採用された。鈴木18歳。当時、飲食店の序列はいまよりももっと厳しい。1日でも先に入れば先輩だ。銀座アスターは新卒採用しかしていなかったため、一番近い先輩でも1年間の開きがあった。だから尚更、序列は厳しかった。「最初は皿洗いからスタートです。ただ、皿洗いといっても大量の枚数です。やがて食材を触らせてもらえるようになるのですが、これも中途半端な量じゃない。いま思えば、『量』をこなすことで、技術が否応なしに身についた気がします」と鈴木。だが、厳しさもあったのだろう。徐々に同期が減っていく。200人の新卒採用者が1年後には50人になっていた。「大きな仕掛けみたいなものがあったような気がします。1人2人と抜けていくんですが、辞めていく人間は、理由はいろいろあるにしても淘汰されていったともいえるんです。結局、チカラのある者が残っていく。それが本格中華の味を引き継ぐに相応しい人を育てていくことになるのかもしれませんね」。鈴木自身は8年間、この「銀座アスター」で勤務した。8年といえば中堅どころ。彼を慕う後輩も生まれていたことだろう。それにも関わらず、退職。何があったのだろうか。

見たこともない斬新な料理。

鈴木を動かしたのは一皿の料理だった。「先輩や後輩たちと連れ立っていろんなお店に行きました。少しでも勉強するためにです。ところが、その店に行ったのは勉強というより近くにできた同じ中華の店だったので、『一度、みんなで覗いてみるか』、そんな程度でした。ところが、出てきた料理に驚かされるんです。盛り付けも、皿一つとっても斬新でした。銀座に出すようなお店なので、けっして安い料理店ではありませんが、銀座アスターとは、さすがに比べものにならない。だいたい客層からしてまるで違いました。若いお客様が多いこともあったんでしょうね。私もまた若いこともあって、スグにこの料理を学んでみたいと考えるようになりました。もちろん、この頃には起業するつもりでしたから、仮に足立区に出店するなら、客層はこちらのほうがあっているぞ、とも」。これが、転職のきっかけとなる。料理を追及する鈴木らしい貪欲な姿勢ともいえる。

「ラムラ」で学んだ2年半と「ラーメン」との出会い。

鈴木を魅了したのは「株式会社 ラムラ」が経営する「過門香」だ。決意して半年後、鈴木はラムラに転職した。料理長候補として新店の立ち上げも経験する。責任者という立場も経験した。銀座アスターでは、まだまだ経験でないポジションだった。30歳。そろそろ起業のタイミングだ。だが、起業には資金がいる。最低でも500万円はいるだろうか。「そういうお金づくりも経営者への道なんですね。お金をきちっと管理できない人は、店をやっても3年とは持ちません。という私も、いまになっていえることで、当時はなかなかお金が貯まらなかった。それで、ムジャキフーズの求人を見つけ応募したのです。起業に一歩でも近づくためにです」。ラムラで2年半。合計10年を超える中華料理の経験者がラーメン業態の店に入る。起業のためとはいえ、どういう気持ちだったのだろうか。

一杯のラーメンのちからを知る。

「本格的な料理を学んだものからすれば、所詮、ラーメンなんです。正直、下に見ることもあった。でも、一杯のラーメンに行列はできても、エビチリに行列はできないでしょ。そう考えると、これは凄いな、と。当時、ラーメンブームが始まった頃で、いろんなラーメン店が登場してきました。競争は激しいものの、<うまいもん>は認められる。ブランドとか、老舗だとか、そういうことに関係なく。この純粋な競争に参加してみたくなったんです」。ムジャキフーズといえば、ご存じの方も多いと思うが、何人もの独立経営者を生み出してきた企業である。現在ではトラスト制度など独自のユニークな開業支援制度を採り入れ注目を集めている。さて、30歳。ムジャキフーズに転職した鈴木は、いきなり店を任される。最初から独立した店主のようでした、と鈴木。初めて、自分で考える機会を得たのもこの時だ。「なんでもやらしてもらえる環境でした。いままでも『やらされ感』だけで働いてきたわけではありませんが、ムジャキフーズではすべて自主性に任されましたから、この2年半で、経営者に必須の知識も、能力も修得できました。ほんとに貴重な2年半だったといえます」。売上や利益はもちろん、人を動かすマネジメント方法も修得した。社長との距離近く、人間的にも成長することができた。

2007年、独立。竹ノ塚にラーメン店を出店。

ムジャキフーズでの2年半を加え、合計13年の修行期間を経ていよいよ独立するときがきた。2007年、まず竹ノ塚にラーメン店を出店する。2009年1月には法人化し、株式会社マカフーヒアDining設立。出店数も順調に伸ばし、2010年12月現在、「中華麺ダイニング鶴亀飯店」「北海豚骨麺屋 銀鈴」「四川担々麺荘 彩たまや」「らーめん しおの風」の4店舗を展開するに至っている。だが、まだまだ店舗は増やしていく計画だ。「年間、3店舗以上やっていきたい」と目標を語ってくれた。ところで、「中華麺ダイニング鶴亀飯店」「四川担々麺荘 彩たまや」のメニューをみれば一目瞭然だが、「麺」をベースにしながらも本格中華のテイストが加味されている。たとえば、鶴亀飯店のメニューは、「広東うま煮あんかけ麺」、「上海えび湯麺」、「福建五目野菜湯麺」、「北京フカヒレ煮込み麺」、「香港ズワイガニ煮込み麺」、「山東焼肉湯麺」、「天津カニ玉麺」「湖南酸辛湯麺」など。いずれも880円。本格中華の名店で磨いた腕を持つ鈴木の料理を格安で堪能することができる。ラーメン好きの一人としては、今後の出店にも期待せずにはいられない。

思い出のアルバム
   

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