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第80回 株式会社RYコーポレーション 代表取締役 横山藤雄氏
update 09/11/24
RYコーポレーション
横山藤雄氏
株式会社RYコーポレーション 代表取締役 横山藤雄氏
生年月日 1975年、茨城県麻生町(現行方市)に生まれる。
プロフィール 実家は、祖父の代より続く「精肉の卸・販売」店。
祖父母、両親、兄の6人家族で暮らし、小さい頃から、「商売」を身近に感じて成長する。いずれ自分も独立経営者に、そんな夢を抱き、高校卒業と同時に、ある精肉店に入店する。
その後、「25歳」で独立をめざすが、周りの反対により断念するなど紆余曲折を経ながら、31歳で独立を果たす。
それから3年、2009年10月現在、「ステーキハンバーグ&サラダバー けん」などを首都圏に10店舗を展開している。
主な業態 「GABURI SHARE」「よしかつ」「けん」など
企業HP http://www.ry-corporation.com/
2009年9月25日、六本木に、10店舗目になる「GABURI SHARE」がオープンした。「レストランウェディングからヒントを得て、ウェディングの要素を取り入れた野心的な店」と株式会社RYコーポレーション社長の横山藤雄は語っている。設立は、2006年末。まだ3年にも満たないなかで、同社は多彩な業態に取り組んできた。「土間土間」「ステーキハンバーグ&サラダバー けん」「博多もつ鍋 薩摩鶏 ふくもん」「静岡清水港 まぐろ問屋 ごっつお」とすべてが繁盛店である。横山がいう「野心」という言葉を借りるのであれば、これらの取り組みすべてが「野心的」だったといえるのではないか。今回は、この株式会社 RYコーポレーション、代表取締役、横山藤雄の過去を振り返ってみよう。

子どもの頃から起業をめざす。

1975年、横山は茨城県麻生町(現在は行方市)に生まれる。祖父の代より精肉卸を営む商売人の家庭で育った。商売人一家のなかで育ったこともあり、「いつか自分も商売をやろう」と子どもの頃から決めていたそうだ。小学生時代から、スポーツが万能。陸上では、県大会にも出場している。中学時代は野球部に所属。上位を狙えるほどのチームではなかったが、部活にのめり込んだ。高校では「ハンドボール」部に所属するが、こちらは1年の終わりに退部している。「好奇心旺盛」な少年といえば横山に怒られてしまうだろうか。ただ、子どもの頃から、さまざまなスポーツにチャレンジし、その時々で喜びや楽しさを見つけてきた。この好奇心、もしくはチャレンジ精神が、これからの、横山の人生をカタチづくるための土台のような気がしてならない。実際、部を辞めた横山は遊びに夢中になる一方で、アルバイトに明け暮れる。大学進学は、露とも思わず、「高校を卒業したら修行して、店をだす」と心に決める。好奇心やチャレンジ精神が、まっすぐに起業という言葉に向かっていった。

18歳。高校卒業と同時に修行の道に入る。

高校卒業後、横山は、叔父の紹介で、埼玉県にある年商10億円規模の「精肉店や飲食店を営む会社」に就職するのだが、この時の言葉が印象深い。「お人柄もいいし、この社長のもとで修行させてもらえればと思った」という。まだ18歳である。人生のなかで、もっとも雑多な感情が同居するときに、横山はすでに人生の目標を見定めている。その一方で、少年らしさもみせる。「初めての寮生活でホームシックにかかった」らしいのだ。大人と子どもの分岐点をこのとき、たしかに横山は乗り越えていった。この会社で、横山はすぐに頭角を現す。20歳で店長になり、21歳の時には基幹店の店長を任されるまでになる。古い会社の体質も刷新した。

25歳で独立。周りの反対で、独立を断念。挫折を味わった。

25歳で独立する、と考えていた。だから、その年齢に達した横山は、7年間勤めた会社を退職した。「いま思えば有頂天になっていたんですね。結局、周りに説得され、その歳での独立は断念しました」。振り返れば、その決断が、のちにより大きな横山自身を作り上げるきっかけとなる。起業をあきらめた横山は、より大きな舞台、つまり年商80億円、34店舗の精肉、スーパーを経営する会社へ転職する。一つの挫折が、横山をさらに仕事に駆り立てる。「34店舗でトップになる」、25歳の横山はそう考え、ひたすら働いた。早いときは朝4時30分に、店に入っている。オープンは10時。通常でも7時30分には店に入り、同じスーパーに入っている店の前も掃除したということだ。精肉をさばく技術も徹底的に学び、研究した。ちなみに精肉店は、職人の世界である。肉ひとつをスライスするにも、職人の技がいるのだ。スタッフを動かす術も学んだ。何より、お客様に喜んでいただくためにはどうすればいいか、「四六時中、頭はそれで一杯だった」そうである。そうやって任された店を、1年で、会社で1番の繁盛店にした。一方、横山は当時の社長に「いずれ独立して飲食店を開業する」と宣言している。やがて、同社は、飲食事業を立ち上げるのだが、そのとき白羽の矢が立ったのは、もちろん横山である。社長と共にさまざまな飲食店を巡り、結局、「土間土間」のフランチャイズに加盟することになる。

赤字の連続。撤退の二文字。そのとき横山が選んだ道は。

「一度も黒字にならなかった」と横山は悔しがる。事業部長になった横山は、念願だった自分の店を手にしたが、飲食店事業の難しさに翻弄される。「何よりも初期投資が大きかった。だから結局、赤字になってしまう」。社長が撤退の二文字を告げたのは、無理もない選択だった。「お前はここに残れ、だがスタッフは店といっしょにどこかに引き受けてもらう」、その社長の言葉に、横山は首を横に振る。自分が採用し、共にがんばってきた社員たちを見捨てられなかった。だから、「代わりに店舗の運営を私に委託してもらえないか」と社長に進言。ついに横山は独立して会社を起業、店舗運営を受託し、撤退の危機から店舗を守った。これが2006年末、31歳の時である。「ご縁を大切にしろ」、祖父や父から常々言われてきたことは、この一言に尽きる。横山はそれを実践してきた。横山は2つの会社を経験しているが、いずれの社長ともまだ縁が続いている。事業を通して出会ったスタッフたちとの縁も軽んじない。彼が起業をするときには、そういう縁でつながった社員たちがいっしょにスタートし、苦労を共にしてくれている。設立から3年近く。店舗は冒頭に記したようにすでに10店舗。まだ離職者が一人もいない。今後は?という問いに横山は、「海外出店やウエディング事業」など多彩な方向性を示しつつ、一方で、「独立制度も確立して行く予定だ」という。18歳で独立のために修行の道に入り、31歳で見事、実現。この13年間は、一人の青年を、飲食業界を代表する次世代の経営者の一人に育てたのではないだろうか。

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