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第73回 株式会社ケーズカラナリープランニング 代表取締役 越野健太郎氏
update 09/10/27
株式会社ケーズカラナリープランニング
越野健太郎氏
株式会社ケーズカラナリープランニング 代表取締役 越野健太郎氏
生年月日 1969年、11月生まれ 神奈川県横浜市戸塚出身。
プロフィール 父は生命保険会社に勤める普通のサラリーマン。転勤が多く、小学生で少なくとも10回近くは転校を繰り返した。
一人っ子として育ち、幼稚園からバイオリンやピアノを習い始める。少年野球ではエースで4番。中学生の時には、テニスで県大会に出場。高校でバンドを結成。様々なコンクールで入賞する。
早稲田大学を卒業後、清水建設などに勤務するが、マネックス証券の社長、松本氏との出会いで独立を目指すようになる。神楽坂で第一号店を出店し、その後も順調に業績を拡大。飲食業界の大手上場企業、再生の指揮も任される。
現在、「軍鶏郭」(元「鶏味座 茶家」)をはじめ、国内10店舗、海外1店舗を展開。 飲食店向けのコンサルティング事業も行っている。
主な業態 「軍鶏郭」など
企業HP http://www.kcplanning.co.jp/

マネックス証券の社長、松本氏との出会いで独立を意識する

ちゃんこ「江戸沢」という「ちゃんこ鍋」のお店がある。会社は東証二部に上場し、全国に120店舗を出店していたそうだ。この店の業績が低迷。3期連続赤字を出し、あるファンドの下で再生に乗り出すことになった。
再生にはいくつもの方法があるが「社長」が蘇生のカギを握ることはいうまでもない。そのとき白羽の矢が立ったのが、今回、登場する(株)ケーズカラナリープランニングの代表取締役 越野健太郎である。
実はこのときまで、越野の飲食経験は3年あるかないか。年齢は35歳。飲食関連の雑誌が、「異例の社長誕生」とページを割き、取り上げている。
わずかな経験で、大手上場企業のトップに立ち、再生に挑んだ越野は、コンサルティングの依頼を受けてから数えて2年、見事、再生の足がかりを築いた。今回はこの異色の経営者、越野の過去を振り返り、飲食業界で成功するヒントを探ってみよう。
越野が早稲田大学を卒業したのは1991年。最初に就職したのは、大手建設会社の「清水建設」。技術系ではなかったが、監督としてダムやスキー場の建設現場も1年半ほど経験している。その後、インターネットに興味を持った彼は、当時、まだベンチャー企業(現在、東証一部上場)だった「IIJ」に転職する。
そのとき「マネックス証券」(現在、東証一部上場)の立ち上げに伴うシステム開発を担当したことで、一つの転機が訪れた。社長の松本氏に請われ、同社に転籍した彼は、松本氏の影響を受け、独立を意識し始めるのである。

飲食店経営の経験ゼロ。初出店は、「神楽坂」に出した60坪の店舗だ。

越野がまず思い付いたのは「ネットショッピングの運営」である。いまの「楽天」のスタイルを考えるとわかりやすい。数人の仲間と共に事業化のプランも立てた。
しかし、資金不足で断念。越野は「いまでも惜しいことをした」と悔しがる。たしかに順調に行けば、日本でネットショッピングを初めて実現していたかもしれない。「楽天」が登場するのは、それから数年後のことである。
構想を断念しなければならなくなったことで、「独立」という思いだけが残ってしまった。そんなとき、ふとひらめいたのが、良く通っていた「Bar」のこと。あの「Bar」でちゃんとした食事を出せばどうなるか、と。後から振り返れば、これが飲食業と越野が、細い糸で結ばれた瞬間だった。
この思いが、より鮮明になったのは、証券会社出身で飲食店を経営していた先輩の「やってみれば」の一言だった。ぼやけた視界が一気に開けた。 つてを頼り、教えを乞うた。(株)フードワークス経営者、宮本氏と出会ったのもそんなときだ。
宮本氏は、格安の物件を紹介してくれた。神楽坂の60坪の店である。数百万の改装で済みそうだった。いい物件に思えた。1ヵ月にわたり、ウオッチした。これならいける、と契約を交わした。しかし、外野からみれば、素人が始めるには、この坪数一つとってもあまりに大きなハンデになるような気がする。坪あたりはたしかに格安だが、それでも月に100万円を超えてしまう。しかも、神楽坂の中では、いい立地とは言いがたい。そのうえ契約時点では、どのような店にするのか、イメージがまだ固まっていなかったのである
結局、3ヵ月、無駄な家賃を払う羽目になった。しかし、この3ヵ月間は、孵化するには必要な日数だった気もする。「鶏味座」の、のれん分け契約が結べたのも、この期間があったからだ。越野は、3ヵ月、新規店舗の構想と向き合った。

「飲食店はこんなにも儲かるのか」。これが最初の感想だった。

このようにして越野にとって、初の飲食店、「鶏味座 茶家」がスタートする。数名の、スタッフたちと共に立ち上げたこの新店舗は、オープン月を除きすべて黒字。半年で投資資金を回収した。
「飲食店はこんなにも儲かるのか」と越野は喜ぶより先に驚いた。まだ飲食業経営のむずかしさを知らないゆえの無邪気な驚きだったともいえるかもしれないが。
2号店は日比谷にオープン。こちらも早々に投資資金を回収する。結局、設立より現在までの10年間で、国内10店舗、海外プロデュース(シンガポール)1店舗を出店するに至っている。
この未経験者の、華々しいデビューに業界の先輩経営者たちもまた驚いたのではないか。特に神楽坂での成功は、「越野」の実力を示すのに十分だった。冒頭に書いたように、その数年後、上場企業の社長として迎えられるのも、このような実績があったからだ。

将来の夢は、スポーツ選手か、音楽家か。そんな少年が辿り着いた「フードビジネス」とは。

飲食店の経営者の多くは、子どもの頃に、なんらかのかたちで飲食業にかかわっている。しかし、越野の場合、つながりは皆無。父親は、普通のサラリーマン。子どもの頃の夢は「スポーツ選手か、音楽家」だった。社会人になってからも経験がない。何の装備もなく、冬山に登るようなものだろう。
しかし、ここに飲食業のふところの広さがある。違った職種や業種の経験も、この業界は受け入れてくれるのだ。それを強みにすることさえできる。成功という「頂」に到達する方法は、いくらでもある。肝心なことは、自分の持ち味を忘れないことだ。
現在、同社は、直営店を経営する一方で、コンサルティングも積極的に行っている。飲食店の経営になにが必要か。未経験からスタートした越野だから見えてきた「真髄」というものを、伝えている。クレバーな越野ならではのコンサルティングは、多くの課題を抱えている飲食店に、光明を与えるに違いない。異色の経営者は、その点でも輝いている。

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