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第63回 株式会社フードリム 代表取締役 信田幸和氏
update 09/09/15
株式会社フードリム
信田幸和氏
株式会社フードリム 代表取締役 信田幸和氏
生年月日 1961年生まれ
プロフィール 商売人一家の長男として生まれ、育つ。父の自由奔放な生き方を受け入れ、自分もまた破天荒な人生を歩み続ける。信念は「まずやってみる、そして考える」こと。その言葉通りの人生を、信田はまっずぐ歩いてきた。
主な業態 「韓の台所」「とんちゃん」「ホルモン劇場」など
企業HP http://www.foodrim.co.jp/

父も、祖父も、商売人。
商売人一家の長男として生まれ、商売を身近に見ながら育っていく。

「焼肉居酒家 韓の台所」をはじめ、都内を中心に5業態、11店舗を展開するのが株式会社フードリム。「韓の台所」は、黒毛山形牛A5ランク一頭使用するなど、お客様の期待を上回る上級のサービスを提供することで知られている。この会社をひっぱるのが、代表取締役、信田幸和、48歳。信田は、素材にこだわる一方で、人にもこだわる「人間重視」の経営者だ。その心に迫ってみたい。

信田は、1961年、横浜鶴見に生まれる。父も、祖父も、商売人。その商売人一家にあって、子どもの頃から商売を身近に見ながら育ってきた。父は、靴の露天商から身を起こし、やがて不動産事業にも進出する。事業意欲が旺盛で、信田が小学3年生の頃には、洋食店も開いている。「父はアイデアマン」と信田が語る通り、当時はまだ珍しいカツサンドを作り売上を伸ばす。「店員にローラースケートを履かしたり、芸能人を呼んだり、いろんなことをやる人だった」らしい。仕事に没頭する傍ら、フラリと海外に行き、2ヵ月近く帰ってこないという一面もあったそうだ。こういう父の自由奔放な生き方に触れながら、商売人のDNAを受け継ぐことで、信田の人格は形成されていく。

中学時代から酒、タバコ…。高校受験の失敗で、勉強に目覚める。自由奔放な人生スタート。

先に目覚めたのは、自由奔放な性格だったようだ。中学生の頃から、タバコ、酒、マージャンとやりたい放題。高校も、受験の最中に友人がケンカを始め、それを止めに入った信田まで試験中止となり、二次募集でなんとか違う高校にすべり込んだという。ただ、初めての転機はこの時、訪れる。「次の試験ですべったら、高校浪人でしょ。これはまずいと初めて真剣に勉強した」。それが一つの自信になったからだ。そして、無事高校に入学した信田は、再び勉学から離れ、高1の終わり頃には、飲食店でアルバイトを開始。商売の入り口に立ったわけである。

ここから先、信田は、その都度、手にした「目的」と、それを達成するための「努力」を繰り返し行う。傍目から見ればうらやましくもあり、また決して真似ができないとも思える奔放な人生である。

さて、貯めたお金はパッと使うのも信田らしいところ。高校2年間、バイトに明け暮れて貯めた100万円で車を購入。高校後の進路は、父親の「歯科技工士がいい」という一言で決定。難関だった専門学校に入るため再び、猛勉強、開始。就職は、歯科材料の外資系大手に。その会社で、アメリカに派遣されるも、期待していたグリーンカードが申請できないと知る。自費で取得するためダブルワークを会社に認めさせ、日本人が経営する人気の飲食店でアルバイトを始める。「ハリウッドスターも来るようなお店で、ある有名なスターがいらっしゃったときには、さすがに緊張しました」と信田。飲食業のおもしろさを純粋に感じたのはこの時ではないだろうか。結局、グリーンカードの取得を断念し、帰国。いったん歯科材料の専門企業に就職し、7〜8ヵ月勤務。友人に誘われるまま、絵画の輸入販売をはじめ、23歳の頃には、月160万円の収入を得ていた。ただし、そのお金は、やはりパッと消えてなくなったが。

初出店時はクレームの連続。やがて、その店が、「行列のできる」人気店に。
目標を実現するおもしろさを今度はスタッフに伝えていきたい。

そんな信田を飲食業に引き戻したのは、やはり、人との触れ合いや人に喜んでもらうという、飲食業のおもしろさだった。24歳の時、母が経営していた喫茶店を借り、初出店。そのために3ヵ月、父の紹介先で修行したが、実際に、スタートするとクレームの連続。今では到底考えられないが、目の前で「まずい」とお叱りを受けることもザラだったようだ。しかし、その叱責にめげず、逆に、「おいしいお店を教えてください」と尋ね、教えられるたびに足を運び、その店のメニューを研究した。「キムチがまずいといわれたら、美味しい店を教わって、そのキムチを買って帰ってくる。厨房で、白菜の葉一枚一枚をめくり、何が入っているのかを目と舌で想像する。それをもとに今度は自分で作って教わったお客様におだしするんですが、そうすると、あ、うまいね、と。お客様も喜んでくださって、ますます、この仕事が楽しくなるんですね」と信田。仕事にのめり込んだ信田は、オープンから1年、1日も休みなく働いている。行動力にも、持久力にも、舌を巻く。この1号店は、結局、行列ができるほどの店となり、信田の飲食事業の本格的な足がかりとなっていく。

1号店の成功に、気をよくした信田は、2号店出店。しかし、この2号店は、散々な客の入り。2階建ての店舗に、4名しか来店されないときもあったそうだ。それでも、4年半続けたがクローズする。もし、フードリムの原点を探すとすれば、この2つの、明と暗のなかに潜んでいる気がする。信田の原点とは違ったところで、屹立する、組織の核となるものである。一つは、「人の育成の大切さ」であり、一つは、「身の丈以上のことはしない」というルールであり、一つは「地域の人たちに喜ばれる店」という運営の原則である。

信田は、社員に色紙を配り目標を書かせている。まずプライベートの目標を書き、その後に仕事の目標を書かせる。翌年、決めた目標に対し各自、自分で点数を付け、採点するという。リクルーティングにも積極的だ。新卒採用も、5年ほど前からスタートしている。社員がリクルーターになって、後輩候補たちに、「フードリム」を語るという。共に主人公は若き社員たちだ。

自由奔放な信田が辿りついた奔放なまでのたのしさとおもしろさ。それがこの会社には凝縮しているように思えてならない。その引力に、多くの人が惹かれ、集まってくる。09年8月現在、アルバイトを含め、スタッフの総数は250名近くになる。

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