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第44回 有限会社サービスマート 代表取締役 塩澤浩氏
update 09/05/19
株式会社はなまる
河村泰貴氏
有限会社サービスマート 代表取締役 塩澤浩氏
生年月日 1960年、東京都大田区生まれ。
プロフィール 父親がダンボール関連会社を経営しており、手形詐欺に会って失敗したことが影響して、“将来は手形ではなく、現金商売をしたい”と10代の後半で決心。父の会社を再生すべく、ダンボール業界ナンバーワンの企業に入社し、2年目でトップ営業マンに登りつめる。その後、繊維・プラスチック製造販売関連の企業に経営者として参画し、新規でアミューズメント事業などを立ち上げる。1998年に独立し、(有)サービスマートを設立。「駄菓子バー」などのヒットを生み出し、4業態11店舗を展開中。
主な業態 「駄菓子バー」など
企業HP http://www.servicemart.co.jp/

昭和レトロの雰囲気が漂う「駄菓子バー」が大ヒット!

“駄菓子食べ放題”という斬新なコンセプトの「駄菓子バー」を7店舗展開して、近年、マスコミ各社に取り上げられて話題になっているのが(有)サービスマート。世界のビールを取り揃えたバー「ブルドッグ」や、焼鳥ダイニングの「さくら人形町本店」なども含め、現在、4業態11店舗を首都圏で運営して大躍進中だ。
昭和レトロな雰囲気が漂う「駄菓子バー」では、ハムカツ、揚げパン、チキンラーメンなどの昔懐かしい料理を揃え、ホッピーやビールで乾杯。しかも100種類以上もの駄菓子が店内に飾られ、どれも食べ放題で楽しめる。中にはダーツなども楽しめるアミューズメント性の高い店舗もある。 同社 塩澤社長はこれらの業態の開発経緯について次のように話す。
「飲み会の2次会にはスタイリッシュな高級バーではなく、駄菓子を頬張りながら“昔懐かしいバーでほっと一息つきたい”というお客様が、今の時代は意外に多いのでは…と思い、出店しました」。塩澤氏が幼少期を過ごした昭和40年代は日本の高度成長期にあたる。その時の体験が「駄菓子バー」の原風景になっているという。
近年、景気悪化が深刻化する中、将来に不安を感じる人々は多い。そんな中、「駄菓子バー」は人々に大きな安心感を与え、この不況下でも売り上げを伸ばしている注目の店となっている。中高年のお客はもちろん、20代の若者にも“おばあちゃん家のような懐かしさ”と逆に新鮮味を与えているのだ。客単価は2300円程度と価格もリーズナブル。


“手形商売の恐ろしさ”を知った10代の頃

塩澤社長は、会社名をあえて株式会社サービスマートではなく、有限会社サービスマートにしている。“大企業病”にならなうように、有限会社として登記しているのだという。それには社長の10代の頃の苦い経験が生かされている。
「父はダンボール関連の会社を経営していました。企業規模は200億円くらいで、従業員は約400人。だから社長の息子として、将来、父の会社の後を継ぐのだろうなと、幼少の頃から漠然と思っていたのです」。
しかし実際は違った。塩澤氏は大学卒業後、父親の会社と同じ土俵にあったダンボール業界の最大手に就職したのである。10代後半の頃、父親の会社で手形が不渡りになり、会社が赤字へ転落したからだ。社長は“手形商売の恐ろしさ”をまざまざと知ることになったのである。
「いつか親父の会社を再生させたい。そう決心して、同じダンボール業界の中でも最大手の企業に就職しました。だから寝る間も惜しんで仕事しました。その会社には約600人の営業マンがいましたが、私は入社2年目でそのトップに躍り出ました」。塩澤氏の“父の会社の再起”にかける想いは、並大抵のものではなかったようだ。
その後、塩澤氏は経営者としても開眼し、30歳の時には、繊維・エンジニアリングプラスチック製造販売会社に経営者として迎え入れられる。「私は社長の肝いりで、しかも部下はみんな私より年上でした」と苦笑いする塩澤氏。
創業120年の古参社員の多い企業で、“若造”と呼ばれた塩澤氏への風当たりは、最初は厳しかった。しかし塩澤氏は、当時20億円規模だった関東地区での売上高を、1年後には50億円まで伸ばし、見事に周囲をうならせたのである。


風通しのよさが企業の魅力。次期幹部候補である若者を求む!

同社の一号店は東京・銀座にある世界のビールを取り揃える洋食店「ブルドッグ」だ。現在も50坪の規模で、月商1000万円をコンスタントに弾き出す人気店だ。その後オープンしたのが、焼鳥を看板メニューに掲げた和食店「さくら人形町本店」。3号店目がヒット業態の「駄菓子バー」。実はこの3店舗目は、1・2号店の苦肉の策として生まれたものだったというから驚きだ。
塩澤氏は当時を次のように振り返る。「ブルドッグやさくらでは、料理人を育てることが大変でした。いい調理人がなかなか集まりにくく、加えて、私自身、調理人の経験があるわけではなかったので、料理の世界の踏み込んだ話ができなかったからです」
そこで調理技術だけで勝負するような業態ではなく、技術がそこそこでもお客に大きな感動を与えられるような業態を考案したのが「駄菓子バー」なのだという。「駄菓子の店なのに、なかなか料理がうまいじゃないか!」というレベルまで商品を開発し、一般的に、料理のクオリティーがあまり期待されていないバー業態において、料理の味の面でも逆に多いに感動を与えているのである。
最近では、その人気が一過性のものではないことが広く認識され、「駄菓子バー」を真似る飲食店も出現しているほどだ。同社でも今後、駄菓子バーの一気呵成を狙う。将来的には、のれん分けというかたちで地方などにも駄菓子バーを出店していく。そのためにも目下のところ、「明るくて、元気で、素直な人材を探している」と塩澤氏。
社員の平均年齢が約30歳という同社では、社長自ら社員と一緒に飲みに行くなど、風通しのよい社風が魅力のひとつになっている。社員のほとんどが20代・30代という若いエネルギーに満ち溢れている。
今後は、20代の若者を中心に、次期幹部候補として新しい仲間を募集していく予定だ。「飲食店なのでお客様からクレームが入ることもあります。そんな時に誠実に対応してくれるような、芯のしっかりした人ならぜひとも仲間に加わってほしいですね」と塩澤氏は微笑む。

思い出のアルバム
思い出のアルバム1 思い出のアルバム2
1980年頃
学生時代学費を稼ぐため「求人案内」という求人誌を発行している会社で働く。毎日出社していたため、アルバイトでありながら編集主任という肩書きがあった。
1980年頃
大学時代(明治大学法学部)のゼミ旅行にて。「手形保険法」というゼミに入っていた。
思い出のアルバム3 思い出のアルバム4
1993年頃
高校時代(九段高校)の友人の結婚祝いを当店(さくら)で行う。
1995年頃
株式会社サクセス時代の部下達と東京ドームのボックス席にて巨人×阪神を観戦。この写真に写っている人間のほとんどが現在の当社の幹部。

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