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第310回 株式会社グロブリッジ 代表取締役社長 大塚 誠氏
update 12/09/04
株式会社グロブリッジ
大塚 誠氏
株式会社グロブリッジ 代表取締役社長 大塚 誠氏
生年月日 1971年3月11日
プロフィール 栃木県出身。亜細亜大学卒業後、建設資材の会社に就職し、2年間勤務。より高みをめざし、株式会社ベンチャー・リンクに転職。はじめて仕事の意義と意味を見出す。12年、勤め、独立。2008年9月18日、6年で世界一になることを目標に株式会社グロブリッジを設立する。2012年5月現在、3年7ヵ月で47店舗(FC含む)を達成。9期には、1兆円企業を目標にしている。
主な業態 「せかいち」「花のすみか」「とらすけ」「赤坂呑兵衛」他
企業HP http://www.globridge.co.jp/

はじめに。

「グロブリッジに来る。それ以外に、若い人が自立する方法論を知らない」。
「若い人材に何かアドバイスを」とお願いすると、株式会社グロブリッジの代表取締役社長、大塚 誠は「自立することが大事だ」と述べたあとに、そう言った。
言葉の響きからそれが本心だとわかる、一瞬、あっけにとられたが、たしかに、そうだと思った。それ以外の方法があれば、大塚はグロブリッジを設立することもなかったはずだからである。つまり、株式会社グロブリッジとは、単純に飲食事業を行う会社ではない。若いこれからの人材を輩出するための、会社である。目標は世界一。だが、目的は企業家の育成と輩出だ。

ランドセルを背負った戦略家。

生まれは栃木県だが、育ったのは千葉県。男ばかりの3人兄弟の次男。喧嘩が強く悪ガキだった、と大塚は子どもの頃を振り返る。とくに貧しいわけではなかったが、日用品以外、買ってもらった記憶がないという。堅実を旨とするご両親だったのだろう。
悪ガキという一方で、子どもの頃から、戦略家だったと大塚は笑う。「ケンカするにしても、誰と誰を味方にすれば勝てるかを考えていました。戦略を組み立てるのが好きだったんです」。勉強もできた。スポーツはもちろん何でもこなした。だから、ランドセルを背負った戦略家の周りには、いつも人が溢れていた。

テニスの王子になった中学時代。

小学校時代から人気者だという大塚だが、中学になると拍車がかかった。「ヤンキーばかりの中学だったんです。ハンパなく荒れていて、誰かが、どこかで毎日、補導されているような中学でした。私も、ケンカは強いほうでしたが、そういうケンカ早い奴らといても目立たないなと考えて、奴らがいるサッカーと野球部を避け、おっとりした男子ばかりのテニス部に入るんです。いまから言えば、アホみたいな話ですが、そういう戦略を真剣に考えて、実践するあたりが子どもなんですよね。でも、戦略はズバリ的中。テニス部にはライバルは居ませんでした」。テニスの王子は、コートで何を追いかけたのだろうか。

サッカー部、半年でリタイア。バイトに明け暮れ、亜細亜大学進学。

中学ぐらいから、勉強はしなくなった。高校時代も、からきし勉強しなかった。「半年間、サッカー部にいたんですが、辞めてバイト三昧です。運送業のアシスタントもしましたし…、そうですね、いちばん楽しかったのはガソリンスタンドのアルバイトでした」。
バイト漬けの高校生活を経て進学したのは、亜細亜大学。
「英語と国語だけだったし、マークシートだったから、『もしや』ってこともあると思って」とこちらを笑わせる。ヤマ勘がズバリ的中したのだろうか。見事、一発で合格。むろん、大学時代も視線の先には女の子。大塚いわくは、ナンパ三昧、だったそうだ。
ナンパのコツをこっそり教えてもらおうと小声で尋ねると、「ファイティング」という戦略家らしからぬ、答えが返ってきた。「ファイティング」という言葉にも深い意味があるのだろうか。勝率は、8割以上だったとのことである。

卒業まで1ヵ月、「さすがにヤバくねぇか」と呟いた。

バイトに、ナンパに明け暮れた学生時代も、もう終わりを告げようとしている年の2月。それまで就職活動を一切、行っていなかった大塚だが、さすがにまずいなと最後の合同説明会に駆け込んだ。「1回の面接で、建設資材などを扱う会社から内定をいただきました。建設という大きな仕事に惹かれ、入社後は、実際にトータル数億円の受注も獲得しました」。
ただ、熱が入らない。大塚いわく、「ぐうたら社員」だったそうだ。学生時代も本業であるはずの勉学はそっちのけ。ナンパに明け暮れ、遊びまわった。社会に出ても、ピリっとしない。「オレって何なんだろうか」。自然とため息がもれた。
「卒業まで1ヵ月を切ってヤバくねぇか、そう思って駆け込みで就職して、給料はもらっていても、ダラダラして。これじゃぁダメだなと思って、とにかく資格だと宅建を取得して。それでも何もかわらなかった。生きている意味みたいなものを探しても何もみつからなかったんです」。だんだん、ジブンという人間までキライになっていく。
ナンパの帝王として君臨した日々が色褪せる。たのしかった時代は、もうとっくに過ぎている。「オレっていったい何なんだ」。

ベンチャー・リンクとの出会いと、12年後。

もし、ベンチャー・リンクと出合っていなかったら。大塚は、どういう人生を送ったのだろうか。偶然の出会いだったが、面接と受け、スタッフと会話するたびに、心、惹かれた。とはいえ、学生時代、ロクに勉強もしていない。筆記試験で出された問題は、言葉の意味すらわからなかった。それでも、入りたいと思うまでになっていた。「解答用紙に、私の思いを綴ったんです」と大塚。それが評価されたのか、数百人の中から選ばれた。「合格」。この二文字がどれだけ嬉しかったことか。大塚のベンチャー・リンク時代が幕を開ける。
「何かにつけ、刺激的だった」という。「はたらく人たちの姿に憧れたんです。それまで、やりたいことも目標もなかった。そんな私が、はじめて志を持ってはたらく人たちの姿に出会ったんです」。
社会に出て、ひょっとすると人生のなかで、初めて心底から熱くなった。「仕事が厳しいそんなことはわかっていました。でも、いくら厳しくても、押し付けじゃない。指示も理論的で、誰もが素晴らしいコミュニケーション力の持ち主でした」。そんな先輩、上司に囲まれ、仕事はいやがうえにも楽しくなる。いつのまにか12年が経ち、会社を動かす一人になっていた。「同期の多くは独立しましたが、私は、ベンチャー・リンクの社長になると宣言していました。それだけ、好きになっていたし、事業に意味があると思っていたんです」。しかし、社長のイスに座る機会は、最後までなかった。入社して、12年後、大塚は、退職する。

リストラの言い出しっぺの責任。

ベンチャー・リンクはいうまでもなく、日本を代表するコンサルティング会社の一つだ。数多くの飲食店をまたたく間に全国区に押し上げた力は、驚嘆に値する。飲食店経営に科学的な手法を導入した点も、誰もが評価するところだろう。その一方で企業家を多数輩出してきたことでも有名だ。大塚は、ベンチャー・リンクのダイナミックな時代を駆け抜けてきた一人である。
いつ頃だろう。歯車が狂い始めた。絶好調だった業績が、下降する。大塚の最後の仕事も敗戦処理のような仕事だった。「役職は部長でしたが、役割は社長でした」。経営者の目で、事業をみると人員削減が避けられないと思った。経営会議でリストラを提案した。先頭に立って、何十人ものクビを切り、最後に自らのクビを切った。
「部下たちのクビを切って、自分だけ残る、そんな選択はできなかった」と大塚は語っている。リストラを言い出した者の、責任の取りかただった。これで、社長という芽はなくなった。

意志を継ぐ。

これと言って、アテもなかった、と大塚は正直に打ち明けてくれた。資金も豊富にあるわけでなかった。だから、資金が少なくてもできる飲食にマトを絞った。スタッフは全員、ベンチャー・リンク出身で固めた。5人の精鋭。できないわけはない、と思っていた。実際、事業は順調にスタートする。ただ、資金の問題には頭を悩ませた。「ある時、通帳をみると残高がなかったんですね。あの時はさすがにブルーになった」と珍しく弱音を吐く。ただ、負ける気はしなかった。ロードマップをつくり、明確なプランを立てた。創業から3年7ヵ月が経った。FCを含め、店舗数は47店舗になった。「返済も終了し、肩の荷が下りた」と笑う。ただ、ゴールはまだまだ先。「今期は20億円、来期は100億円、5年後の9期には1兆円企業になる」と言い切った。
「できる、できないではなく、やるか、やらないかです」と大塚。そのゴールに向かっていく過程のなかで、多くの企業家を育成していきたいと、考えている。かつて求人広告で「企業家、募集」と謳っていたベンチャー・リンクを思い浮かべた。
「私の、またグロブリッジの使命は、いまの若い人たちが前向きに生きられるような世界をつくることだと思っています。そのためには、まだまだ私たちの発言力は弱い。だから1兆円企業をめざしているんです」。目標は1兆円企業だか、目的は若い人たちが前向きに生きられるような世界をつくること。そんな思いがみえてくる。はたして、この戦いの勝者は誰だろうと考えたとき、冒頭の大塚の言葉が蘇った。たぶん、勝者は、大塚と共に闘い自立した人なのだろう。この「自立」、大塚流にいえば「企業家」となる。

世界に橋を架ける。

Global×Bridge、社名である「Globridge」に託された思いだ。今後の展開についても伺った。「飲食は、経営資源的に、また経営環境を考慮して最初にスタートした事業です。今後は、エネルギーや情報通信、また金融という分野に進出していきます」と大塚。大塚の目には、もう世界一というゴールのテープを切る一瞬が映っているのだろう。その自信が、自らを駆り立てる。
「ハッキリ言えば、いまの日本は、話にならないと思う。子どもたちは勉強しない風に教育されているんですから。バカな話です」。たしかに、そんな気がする。
多くの企業が、世界規模のスケールで採用活動を行い始めた背景も、実はそんなところにあるのかもしれない。その状況を、覆す。日本に、そんな経営者が登場した。飲食業意外に興味のある人にも、ぜひ、扉を叩いて欲しい会社である。

思い出のアルバム
 

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