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第290回 株式会社スケール 代表取締役 寺澤賢二氏
update 12/05/22
株式会社スケール
寺澤賢二氏
株式会社スケール 代表取締役 寺澤賢二氏
生年月日 1967年11月29日
プロフィール 東京都豊島区に生まれる。埼玉県の武南高校卒業後、クラブに勤め、そこで出会った不動産会社社長に誘われ、営業の仕事を始める。その会社を25歳で退職し、義父と共に機械商社を起業。39歳まで勤務するが、その一方で、串焼、もつ焼き「げん」の原型となる焼鳥屋をオープン。店舗を軌道に乗せたあと、FC事業を開始。現在、「串焼きげん」、「串焼き一献」、「串焼きこがね」、「もつ焼き肉刺し彩」を主要ブランドに直営2店舗とFC店19店舗を経営する。スケールの設立は、2004年10月15日。今後もFC中心に100店舗体制確立を目指す。
主な業態 「串焼き げん」「串焼き あらい」「七味屋」「香味亭」他
企業HP http://www.s-cale.com/

転校の度に。

寺澤は、小さな頃から結構な数の転校を繰り返している。幼稚園で2校、小学校4校、中学校2校。「友だちができたと思ったら、転校です」と言って笑う。どうやら母親が引っ越し好きだったことが原因らしい。「転校の度に友だちづくりに奔走しなければならなかった」というが、この経験は、誰とでもスグに打ち解け合える、寺澤の明るい性格と社交性を育てた気がする。ちなみに、ホンダの生産工場で勤務されていた父親は、33歳で独立し、金型の機械加工の会社を起業する。最盛期には100名の従業員を抱えておられたそうだ。

興味あるものには100%、それ以外は0%。

寺澤は、小学生の時にバスケットボールを始める。学校は転々としても、こちらは高校まで続けている。高校時代には、いろいろなバイトを経験した。ビルの清掃、飲食のホール、珍味の訪問販売もしている。バイトは熱心だったが、反面、学校はよくさぼった。「だいたいは夕方から部活だけの学園生活です(笑)」。興味があることには、100%のちからで取り組んだが、反面、興味がないことには見向きもしなかった。0か100か。はっきりしているところがいかにも寺澤らしい。

努力しなくても、お金には困らなかった。

高校を卒業と同時に独り暮らしを開始した。割のいいバイトを探し、クラブで勤め始める。「当時はバブル期。チップを山のようにもらいました。バイト代は月15万円だったんですが、チップが凄くて、月に20〜30万円になりました。チップをいただくために、サービスに精を出したといえば、格好いいんですが、努力した記憶はまったくない。そういう時代だったとしかいいようがありません。いまの若い人には考えられないんじゃないですか」。お金に困らないから、辞めようとも思わない。しかし、ある社長に誘われて新たな仕事にチャレンジすることになった。

月収、ウン百万円の生活は、バブルと一緒にピリオドを打つ。

「クラブに良く来るお客さんの一人に不動産会社の社長さんがいらっしゃいました。ある時、うちに来いよって誘ってもらって。それで、不動産の営業を始めたんです。不動産バブルの時代でしたから、契約はスグに取れました。マンション一棟やアパート一棟というお客様もいらっしゃったので、億単位の売買になって、インセンティブだけで月に数百万円という時もありました。これも、いまじゃ考えられない話ですよね」「ただ、3年経った頃からでしょうか。契約が上がらなくなります。私だけじゃなく、全員です。インセンティブがなくなると、給与は激減です。会社もニッチもサッチもいかない状態になっていました。私は、結局4年勤務して25歳で会社を辞めました」。寺澤が25歳といえば、1992年のこと。バブル経済が終焉を迎えたと言われている年だ。寺澤の、はなやかな時代も終わりを告げた。

人のために始めたことが、財産になる。

寺澤が結婚したのは、会社を辞めた1年後。26歳の時である。この時、誘われるままに、機械商社を起業する義父の仕事を手伝った。37歳の時には、「飲食店をやりたい」という友人をサポートして、飲食店を開業する。寺澤も店にたった。結局、39歳の時に、義父の会社を退職しスケールを設立するのだが、その約2年間はサラリーマンと経営者の二足のわらじを履いていたことになる。昼も、夜も仕事をしていたので、開業して1年半は1日1時間の睡眠が続いた。この当時、寺澤は、「自分のやりたいことなど考えていなかった」そうだ。義父や友人のサポートに徹していたに過ぎないともいえる。ただ、この時の経験が、のちのち大きな財産となり、寺澤の信念をカタチづくったことは間違いない。

2店舗目が大繁盛。このノウハウをどう活かせばいい?

1号店は、投資額も少なかったこともあって、7坪、十数席、小箱のため、繁盛しても売上はしれていた。代わりに2号店目となる「北越谷店」は、1000万円を超える投資を行い、坪数も、席数も増やした。ただし、銀行からの借入れ。失敗するわけにはいかない。プレッシャーが重くのしかかった。ところが、オープンするとたちまち不安は去り、プレッシャーも消し飛んだ。予想以上の売上が上がる。こうなると、3店舗目、4店舗目と出店していきたいところである。しかし、寺澤は慎重だった。友人(現役員)も、借り入れの怖さを知っている。新店を出すには、銀行からの借り入れに頼らなければならない。しかし、FCならどうだろう? たとえば、「飲食店を開業したいという人のサポートはできるのではないか」と考えた。これが寺澤流、フランチャイズビジネスの始まりである。サポート役に徹してきた寺澤にとっては、ハマり役だともいえた。もっとも、「FC展開の話をすると酒屋さんにも笑われた」そうだ。「FCの本部をするなら、知名度も、お店ももっと大きくなってからにしたほうがいいですよ」。わかりきっていることを指摘された。酒屋のいうことはもっともだとも思った。だが、方法は一つではない。知名度がなくても、お店が小さくても、できるFCビジネスがあるはずだ。寺澤は決断した。

関東圏を中心に100店舗の出店を目指す。

「店名は統一したほうがいいんです。私たち本部にすれば」、そう言って寺澤は笑う。「でも、ウチではオーナーさんにそれぞれ店名を付けてもらうことにしています。そのほうが、自分の店という気持ちがわくでしょ。その気持ちを大事にしたいんです」。この一言に寺澤流のFCビジネスの真髄が表れている気がする。こだわるのは、FC各店の成功だ。ロイヤリティは月4%。加盟金は200万円。物件探しから懇切丁寧にサポートしている。月商は店によって異なるが、おしなべて業績はいい。2店舗、3店舗と出店しているオーナーもいるそうだ。酒屋にも笑われたビジネスだったが、いまや19店舗のFC店を構えるまでになっている。「知り合いやその紹介で店舗が増えてきたものですから、いまある店は、埼玉に17店舗、ほか都内1店舗、神奈川1店舗です。今後は東京や千葉、神奈川での展開を加速していき、4年後をめどに100店舗。そういう構想を立てています」。海外も、もちろん視野に入っているということだ。関東圏エリア以外から、加盟店の希望があれば、エリアフランチャイザーとして、迎える用意があるとも言っている。寺澤のこの成功の要因を次のように語っている。「いい出会いに恵まれ、その出会いの一つひとつを大事にしてきました。お客様や従業員、仕入先業者の口コミで広がってきましたから、埼玉が中心なんです。振り返れば、それが功を奏して、本店を中心にしたドミナント効果が生まれたのだと思います。」。<誰かのために>という思いが、いくつもの「絆」を生み出したのは間違いない。いつのまにか寺澤は、周りの人たちから後押されるようにもなっていた。

加盟店を幸せにするFCビジネス。

フランチャイズでの出店は、本部は、金面で悩むことは少ない。代わりに、直営店を出すよりも神経を使う。FC店が成功すれば、評判となり、弾みはつくが逆もまたありえるからだ。コントロールもむずかしい。その点、寺澤が行ってきたFCビジネスは、評判が、評判を呼んだ好例とも言えるだろう。加盟店募集の広告を打たず19店舗まで広がったことからも、評判の良さが伺える。業態の強さを示しているし、寺澤たち本部のバックアップの良さを示しているとも言えるだろう。「まだまだ今からです。いまからはもっと外にでていくことになりますので、インフラもちゃんと整えておかなければと思っています。共栄共存というFCビジネスの基本を忘れずに、私たちだからできる細かいフォローも行いつつ、すべての加盟店に幸せになってもらえるようなサポートをしていきたいと思っています」。新たな人と出会うことは慣れている。子どもの頃からそういう経験は十分積んできた。だからだろう。FCの「ジー」と「ザー」というおきまりの関係ではなく、ルールはあるが、もっと距離の近い、そんな関係が成り立っているような気がする。すでに19店舗にもなっているので、手取り足取りとはいかなくなったが、まだまだ小回りが利く対応が可能。そこが強みだ。大手飲食店の加盟店になるのもいいが、システムでは劣っても、心で勝っている、寺澤と手を組む。それもまたいいのではないか。一つの店を成功させる確率が高い方を選ぶなら、寺澤率いるスケールに軍配が上がるケースが少なくないと思うからだ。少なくとも19店舗のオーナーたちの笑顔はそれを証明している。

『感謝』と『喜び』を追及し、100店舗をめざす。

寺澤に聞いてみた。この数年間のなかで、もしくはFCビジネスを展開されるなかで気づいたことは?と。「店舗が増え、出会いが増えて分かったことがあります。それは、『感謝の気持ちから本当の喜びが生まれる』ということです。これはいま、弊社のコンセプトスローガンにもなっています。『感謝』とは人に何かをしてもらったから生まれる『喜び』ではありません。『人に対し何をしてあげられるか?』を考え、実行できた時に、その人の嬉しそうな顔や『ありがとう』の言葉に触れて初めて、本当の『感謝』と『喜び』を感じることが出来るんです。この喜びを社員たちにも味わってもらいたいですね」。飲食店の経営は、人に対するサービス精神が大事である。その精神の根底には、寺澤のいう『感謝』と『喜び』を追及する思いが流れているのだろう。100店舗には、まだまだ多くの出会いが必要となる。その出会い一つひとに「感謝」し、「喜び」を感じられる、そんな社員たちとも出会いたいと思っているはずだ。「興味あるものには100%」で取り組む寺澤は、いま間違いなく寺澤流FCビジネスに100%の力を注いでいる。

思い出のアルバム
 

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