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第24回 株式会社ドリームコーポレーション 代表取締役社長 林浩喜氏
update 08/09/30
株式会社ドリームコーポレーション
林浩喜氏
株式会社ドリームコーポレーション 代表取締役社長 林浩喜氏
生年月日 1963年、福岡県生まれ。
プロフィール 幼少期を山口で育ち、1987年神戸大学経済学部に入学。卒業後、住友商事に入社し不動産開発業務に従事する。1993年に住友商事を退職し米国コーネル大学大学院に入学。卒業後も米国に滞在しフードサービス修業を行い1996年帰国。
翌年ドリームコーポレーションを設立し『ベーグル&ベーグル』1号店をオープン。現在4業態で80の直営店を展開中。
企業HP http://www.dreamcorp.co.jp/
1997年。まだ日本人の多くが“ベーグル”の存在を知らない時期に、ドリームコーポレーションは設立された。まずは「日本でいちばんのベーグルの会社」をつくろう!高校卒業の頃から思い描いていた独立をついに実現させた林氏だったが、1号店のオープンは想像以上に困難を極めた。それから10年経った今年。洞爺湖サミットを終えた各国主脳たちが帰りの機内で食したのが、ドリームコーポレーションのベーグルだった。今や店舗は4業態で80に増え、JALの機内食にも同社のベーグルが全面採用となる。「意志あるところに道は開ける」。独自の情熱的経営哲学で道を切り開き続ける林氏に、会社設立の背景、そして今後目指していく事業について聞いた。

新宿二丁目という異色地でのスタート

 『ベーグル&ベーグル』の記念すべき1号店は、林氏が思い描いていた青山や原宿ではなく、新宿二丁目というちょっとユニークな地でオープンする。出店地探しと資金調達に苦戦していた林氏が、あるオーナー企業の社長と出会ったことがきっかけだった。「ウチのカフェを使ってやってみないか? 3カ月連続で売上を3倍以上にしたら君の事業を本格的にサポートするよ」。
 米国でベーグルの美味しさに魅了され“売れる”と確信した林氏は、帰国後ビジネスプランをまとめ複数の投資家やベンチャーキヤピタルを訪ねた。しかし結果は全面否定。なかなか計画が進まず、一瞬自信を失いかけた時に訪れたチャンスだった。
 急遽オーブンと看板だけを取り付け、準備期間2週間でオープン。「とにかく初日が大事だと思いました。周りの会社や専門学校を中心に5000枚以上のチラシをくばり、ベーグルっていうこんな美味しいものがありますからと宣伝しまくったんです」。そしてオープン初日。チラシを持った人たちが行列を作り、その後もベーグルを気に入ってくれたOLや専門学校生でお店は常に賑わっていった。
 「結局、新宿二丁目という場所が奏功したんです。当時はまだベーグルの認知度もありません。“なんでこんなとこでこんなお店が流行るんだ”と、マスコミが面白がって取り上げてくれるようになったんです。これがおしゃれな青山だったら当たり前の話で、これほど話題にならなかったかも知れません」。
 1号店を見事成功させた林氏は、その後間もなく浜松町、六本木に店舗を増やしていく。と同時に変化したのは投資家たちだった。「あなたの事業に投資したい」。これまで否定され続けた投資家たちを、今度は自分が選べる立場になっていたのだ。


高校時代から夢想するようになった独立、
そしてベーグルとの出会い

 幼少時代を山口県で過ごした林氏は、実業家だった祖父の影響で事業家を目指すようになる。神戸大学を選んだのも伝統的に実業家を輩出する学校だからとの理由。当時は「何をやるか夢想ばかりしていた」というが、衣・食・住など生活クオリティの高い神戸で暮らしたことが現在の事業にも影響を与えていると考えられる。「家庭教師のバイトで稼いだお金はすべて食べ歩きや着道楽に使いました」。世界の食が集まる神戸での生活を楽しむ中で、無意識に飲食の道に進む軌道が描かれていたのかもしれない。
 しかしまだ「何をやるか」は本人の中では具体的ではなかった。大学卒業後住友商事に就職した林氏は、将来の独立に向けて貯金を始める。6年間の在籍期間で1500万円。だがその資金は独立ではなく米国コーネル大学大学院の留学費用として消えていく。「当時、企業派遣でMBA修士を終え帰国する先輩が増えていました。羊のように軟弱だった先輩たちが、アメリカから帰ってくると狼化して経営のことを熱く語っていたりする。自分も行ってみたい。そしてアメリカで事業を始めたっていいじゃないかと思うようになっていました」。
 結局、独立資金の1500万円を留学費用に充て渡米。しかしそこでの経験が、「日本でのベーグルの事業」へと結びついていく。「とにかく美味しかった。ベーグルのモチモチした触感と自然でほのかな甘味、サンドするクリームチーズの酸味と絶妙にスモークされたサーモンのコンビネーション。アメリカにこんな繊細な食べ物があったのかと驚きました」。
 林氏は一度米国ボストンのベーグル店に就職するが、現場でアジア系女子大生に“大ウケ”している様子を見て、日本のみんなに絶対食べて欲しいと帰国を決意する。


大手パンメーカーの社長の一言で成功を確信

 独立資金を使い果たして帰国した林氏は、ビジネスプランに賛同してくれる投資家を募るしか事業を始める足掛かりがなかった。企画書を携えてのベンチャーキャピタル廻り。ここでは住友商事時代、不動産開発業務で培った折衝力・交渉力が役立ったが、冒頭での話のように反応は鈍く、時間ばかりが過ぎていった。しかしあきらめなかったのは情熱だけではなく、きちんとした理由がある。
 ある大手パンメーカーを訪ねた時のこと。「日本でベーグルは根付かないよ」。その社長の一言で成功を確信したのだという。「技術も資金も豊富な大手が参入したらボクに勝ち目はありません。でもその大手はやらないという。チャンスだと思いました」。
 現在、全ての店舗を直営で運営する同社は、「ベーグル市場を自分たちがゼロから作った」という誇りを持っている。「それでもまだ、ベーグルを知らないという人が多いでしょう。こればボクのビジネスプランにも書いていたことですが、学校給食で子供たちにも食べてもらいたい。海外にも進出したい。そして今後はより着実な店舗拡大を図って、ボクたちの手でベーグルの価値を高めていきたい。まだまだ大きな市場が眠っているのです」。
 同社のベーグルには、現在様々な分野からアプローチがある。例えば外務省が持ちかけた商談によって、洞爺湖サミットの帰国便で同社のベーグルを含めた食事が出されたという。JALのハワイ線機内食でも提供されるようになり、北米線も計画中なので、飛行機を利用される方はぜひ楽しみにしていただきたい。


「1000年続く会社」を目指して

 ドリームコーポレーションは、08年春に予定していた上場をキャンセルし、プライベートカンパニーとして経営を続けていくことを決めた。「この10年間ボクたちは走り続けてきました。事業計画通りに店舗数を増やし、多少無理があっても頂上に着いてから休もうと言い続けた。そんな中で意見が対立して辞めていった仲間もいて、それは本当に辛い経験でした。はじめてめげそうになりました」。
 「幸せって何だろう?」。林氏の結論は、公開企業のトップになることではなかった。「ボクの成功とは、長く続く会社を作ることだと分かったんです。長く続く会社とは、お客様に必要とされる会社であり、次代を担う従業員が育っていく会社です」。
 右肩上がりに成長を続けてきたドリームコーポレーションは、08年4月からの2年間を“成長の踊り場”と決め、人材育成や既存店の整備・充実などに充てている。土台をしっかりと固め、次の勝負に出る2010年には海外も含め積極的な新規出店を行っていくという。もちろんすべて直営店だ。
 「意志あるところに道は開ける」。これは林氏の座右の銘だ。「ボクは何か特別な才能があるわけでもないし、特別なバックグランドがあるわけでもない。ボチボチの人間なんですよ。でも一度決めたらあきらめない。ボクという人間からいろんなものを剥いでいったら、結局“意志あるところに道は開ける”という背骨しか残らないのかも知れない(笑)」。
 「“生活創造カンパニー”として1000年続く会社を目指す」。トップの明確な意思とビジョンがあるドリームコーポレーションは、今後さらに日本の食文化に大きなインパクトを与えてくれるに違いない。

思い出のアルバム
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六本木本店にて 商社時代 コーネル大学大学院時代
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AIB時代 N.Y.ベーグル屋 新宿御苑店
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新宿御苑店 新宿御苑店 屋久島旅行
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