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第239回 株式会社フードナビ 代表取締役 渡辺大河(わたなべ だいが)氏
update 11/09/20 edit 17/05/09
株式会社フードナビ
渡辺大河氏
株式会社フードナビ 代表取締役 渡辺大河氏
生年月日 1974年1月21日
プロフィール 千葉県市川市出身。3人兄弟の次男。FCビジネスを徹底的に学んだのち、2006年に株式会社フードナビを設立し、低投資で始められる赤提灯業態の「浜焼太郎」をリリース。平均15坪という、小箱だが、これが逆に高収益を生み、2017年現在、直営5店舗、FC店102店舗を出店している。
主な業態 「浜焼太郎」「Cfarm」「鮨寿司」
企業HP http://www.foodnavi.co.jp/

初恋の相手。

「転校が多くて、そのピアノ教室に通ったのも数ヵ月だけ」と渡辺氏。園児の頃のことだが、今でも鮮明に記憶している。
「先生の膝を枕に、ピアノを聞いていたんです」。
今も疲れるとピアノバーに足が向く。「ピアノを聞くと癒されるから」と渡辺氏。ピアノの曲に耳を澄ましていると、時に先生の膝枕が蘇る。
「私にとって、初恋の人ですね、たぶん」。
子どもの頃は、とにかく転校が多かった。回数を伺うと「約20回」という答え。たしかに、多い。今までにも転校が多かったと語った経営者は少なくなかったが、さすがに20回は、断トツである。当時の心境は? とたずねると、「転校慣れして。とくに何も思わなかった」と笑う。たしかに、学期ごとに転校するペースである。中学2年になって、父親が独立するまで、転校はつづいた。
出会った人は多かったが、記憶している人はけっして多くない。やはりピアノの先生は、特別な人だったのだろう。

TV出演。

「中学1年生の時に、たぶん、オーディションに親が申し込んだんだと思いますが、初めてTVに出演しました。それから、数回TVにでました」。
ギャラは1回5000円〜10000円。転校するまで出演したそうだ。
「転校っていっても、ほぼ千葉県内なんです。この時は、九十九里浜にちかい町に住んでいて、転校したのは、隣町の中学校。だから噂も伝わっていて、けっこう時の人みたいな感じになって(笑)。ちなみに、これが最後の転校です」。
女の子にも騒がれたが、不良たちにも目をつけられた。
「直接、私が目をつけられたわけじゃないんですが。それで、奴らに負けないように少林寺を始めるんです。実は、それが縁となって、高校に進みます」。

東京タワーからの、眺望。

「バイト歴は、長いですね。中学の時にTVに出ていたのも、いわばアルバイトです」。高校1年の時から、本格的にバイトを開始する。弁当屋、ガソリンスタンド、バイト先はかわっても、重宝された。
千葉から東京に出てきたのは、20代半ば。 「千葉と東京って距離はそうないわけですが、私にとっては憧れの街でもあったんです」。
小学3年。家族で、東京タワーに登った。
「あの時、眼下に聳えるビル群をみて、すごいなと。いつか俺もここで、と」。
しかし、ずいぶん長く、かかった気もする。
ずいぶん長く、かかったぶん、すごい奴になっていた。

一夜にして開けた、億万長者への道。

「東京にきてからも、プラプラしていました。しかし、少しずつ仕事をちゃんと始めて」。
 実は、渡辺氏、29歳でレインズインターナショナルの門を叩くのだが、20代半ばから、その29歳の間に、会社を5つつくっていた。いちばん儲かったのが、健康食品。
一夜のうちに、億万長者への道が開けた。
 「当時は、なんていうんでしょう。お金を追いかけて、せっせと仕事をしてきたわけですが、そのお金が手に入れば、入ったで、今度はそれで悩んでしまうんです」。
不思議な体験である。いくら散財しても使いきれない。住まいは、表参道。駐車場にはキャデラックとジャガー。時計も、服も、ぜんぶ高級品。しかし、お金はなくならず、心はいくら浪費しても満たされない。
「疑心暗鬼にもかかって、人も信用できない(笑)」。億万長者と書いたが、実際、3ヵ月で通帳に数億のお金が記帳されていた。

奥様の家に転がり込む。それが、第二のスタート。

そのなかで1人だけ、心から信用できる人ができた。「それがいまのカミさんです(笑)」。
渡辺氏が出資していた会社社長の紹介だった。男性だけではなく、女性も、渡辺氏より、渡辺氏の財布に関心があった。しかし、奥様だけはちがっていたそうだ。
「彼女と結婚することになって、それがきっかけではないんですが、もう、事業をつづけるのが、イヤでイヤでしかたなくなって。一種のノイローゼみたいなもんでしょうね。早く、解放されたくて、経営していた会社をすべて畳みました。ただ、計画性のない状態で畳んだもんですから、支払いだけが残ったりして、それを払うと、手元に残ったのは、わずか現金で300万円(笑)」。
使った時で1ヵ月の交遊費700万円。それが、当時の金銭感覚だった。300万円はすぐに蒸発した。表参道の住まいを引き払い、家具も、車を売り払い、家賃11万円の奥様の家に転がり込む。それが、第二のスタートだった。

飲食は「バカがやる商売だ」。

「なんとか食いつないでいましたが、いつまでも仕事をしないわけにはいきません。しかし、もうお金だけの仕事をするつもりもないわけです」。
「懲りた」といいたそうだ。
「それで、改めて何をすれば、たのしいんだろうと考えた時に、浮かんだのが『飲食』の二文字だったんです。食べるのも大好きでしたし、何より、中華鍋をふる中華料理のシェフや、和食の板前さんに憧れていたんです。チョーかっこいいって(笑)」。
ただ、やるといっても、どうすべきかわからなかった。
「飲食を始める前に、コンサルタントの仕事を少しやっていたんです。仕事は順調で、コンサル仲間もできました。そんなコンサル仲間がいうんです。『飲食なんてやる奴はバカだ』と。『客単価2000円〜3000円。それをもらうためにヘコヘコ頭を下げなくっちゃいけない。しかも、バタバタ潰れているだろ』って」。
「その一言を聞いて、飲食に憧れもあったのもありますが、逆に『じゃあ、やってやろうじゃないか』と。そう、それで、牛角などを経営しているレインズインターナショナルに就職しました」。

人を幸せにする、フランチャイズビジネス。

「コンサル仲間は、バカだと言いましたが、私にとって飲食は、最高に素敵な仕事です。まっしろけ。法律を知らなくても、いい。駆け引きもない。たしかに客単価は2000円や3000円です。でも、人に癒しや夢を与える業態。1つ1つのテーブルに必ずドラマがあります。そのドラマで自分の店を使ってくれることが本当にうれしいし光栄です」。
人間、心から笑えるのは、お金があるからではない。仕事の対価もまた、お金だけではない。そういうことを渡辺氏は言いたいのだろう。
「レインズインターナショナルでは、すぐにエリア本部の会社に転職し、フランチャイズビジネスのイロハをゼロから学びました」。
学んだといっても、乞われた転職である。移籍金と、1000万円以上の給与が保証されていた。
「当時、学んだことが、いまの私の仕事につながっています」。
「浜焼太郎」の原点である。
 株式会社フードナビの設立は2006年。「浜焼太郎」をリリースし、2017年現在の店舗数は、100店オーバー。本部とオーナーは互いにいい関係である。初期投資は、約640万円〜。低額のため、回収もむろん早い。わずか2年で回収できるモデルもあるという。

そろそろ、つぎのこと、である。
「そうですね。いま、関心があるのは、国別の幸福度ランキングです。(笑)ランキングをみればわかりますが、日本って先進国なのに低いんです。幸福度が高い国は、TAXがすごく高いが小中高大・福祉や老後のサポートがちゃんとしている。仕事、仕事とも言わないし、貯金などもあまりしていない方が多いのに国民に不安は少ない」。
たしかに、「幸せとは何か?」というのは、永遠のテーマである。幸福とお金の相関関係は? その質問を投げかけられたとしたら、かつての渡辺氏と、今の渡辺氏は、それぞれどのような答えを用意するのだろう。
いずれにしても、億単位を儲けていた20代の時よりも、今現在を語るほうが、自信に溢れ、イキイキとされている。年を重ねたからではない。何人ものフランチャイズオーナーを幸せにしてきた自信があるからだろう。
ところで、「仕事の幸福度」があるとすれば、どう測ればいいのだろう。
それはひょっとすれば、他人(ひと)を幸福にする度合いで決まるのかもしれない。
渡辺氏の話を聞き終え、そんな風に思った。

思い出のアルバム
 

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