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第115回 有限会社YDR 代表取締役 大村孝雄氏
update 10/03/30
有限会社YDR
大村孝雄氏
有限会社YDR 代表取締役 大村孝雄氏
生年月日 1968年2月1日生まれ。東京、中野出身。
プロフィール 両親は共働き。一人っ子として育てられる。高校時代から飲食のバイトを数多く経験し、調理の専門学校に進む。卒業後、大学内の生協の食堂で調理師の仕事を開始。その後、客として訪れた居酒屋「楽」に一目ぼれし、扉を叩く。ここで、いまでも「おやじさん」と呼ぶ社長の宇野氏と出会い、独立を志すようになる。1999年、31歳の時、「よだれ屋」を開業。屋号の「よだれ屋」は恩師、宇野氏の命名。
主な業態 「よだれ屋」
企業HP http://www.yodareya.com/
「よだれ屋」というユニークな店名の繁盛店を経営しているのが、「有限会社YDR」代表取締役、大村孝雄である。現在、「調布」「府中」「渋谷」に合計4店舗を構え、いずれも地域の人たちに愛されている。今回は、この人気店「よだれ屋」の創業までを、大村の過去を振り返りつつ、追いかけてみよう。

元気の良い、活発な少年時代。バイクに憧れた高校時代。

両親が共稼ぎだった。いわゆる、かぎっ子である。大村は「放任主義だった」というが、父が母より早く帰宅したときには「親子二人でスーパーに買出しに行き、一緒に料理をした」というエピソードを聞くと、微笑ましくも、愛情たっぷりに育てられた少年時代が垣間見られる。小学生時代、大村は野球チームに所属。飽きっぽく、何をするにも長続きするほうではなかったそうだ。落ち着きがない。通信簿にはよくそう書かれた。中学生になりサッカーを始めるが、3年間、続けずにリタイア。高校時代には、バイクに憧れ、バイク欲しさもあってアルバイトに専念。飲食業との出会いは、この頃から始まる。買ったバイクはCB400。当時は誰もが憧れた人気のバイクだ。このバイクを買って、北海道へ。大村の「広い心」が、広い大地を求めていたのではないだろうか。

調理師専門学校へ。生協に就職し、大学の食堂に配属される。

高校を卒業した大村は、調理師の専門学校に通い始める。高校時代のアルバイトを通して、飲食業に少なからず惹かれていたからだ。この学校を卒業した大村は、生協に就職。ある大学の食堂に配属される。「まるで土木作業のような力仕事だった」と、大村。大きな中華鍋を振り回し、何人前ものチャーハンを一度につくる。炊飯一つにしても、とんでもない量が炊き上がる。量と格闘するだけの単純な作業に嫌気が差してくる。ただ、この仕事が、大村の心身を鍛えたことは間違いない。大村はこの後、居酒屋「楽」に転職するのだが、誰もが戸惑うような「楽」の厳しさについて尋ねてみたところ、「生協の時代より、ましだったですね」という答えが返ってきた。1日に3000食の「学食」が大村を育てたのである。

楽コーポレーションとの出会いで独立を志す。

「偶然だった」と大村。「たまたま下北沢で友だちと飲もうということになって、はじめて『楽』に行ったんです。衝撃を受けました。へぇ、凄いな、こういう居酒屋もあるんだ、と」。友人がたまたま店長を知っていたこともあって、すぐに面接を受け、働き始める。これが大村にとっては、大きな転機となる。いまでも「おやじさん」と呼ぶ、社長の宇野氏と出合ったからだ。すでに述べたように、忙しさには苦痛を感じなかった大村だが、「学食の時は客である生徒たちと話すことはなかった。それに比べて『楽』は、当然、接客業ですから、最初はそこに戸惑いました」と、入社当時を振り返る。「料理を作りながらも、お客様と話したり、料理を運んだり。そういうさまざまなことが勉強になった」そうだ。独立という二文字も、この頃から、はっきりと意識するようになった。

21〜31歳まで、10年間「楽」で修行。27歳、突如、思い立ち、空手を習い始める。

入社後3〜4年で店長を任される。24歳の頃だ。21歳で入社して10年。大村は「楽」で修行する。「一応、5年で独立というのが、『楽』のスタイルだったんですが、ぼくは、始めたのが21歳と若かったこともあって、20代で独立しようとは考えていませんでした。20代では、まだまだ人間的な魅力が足りないと感じていたからです。そんなとき、突然、このままでいいのか、と思い始め、空手を習いだしたんです」。ちょうど27歳の頃だ。武道を修得することで、何かが変わるわけではない。だが、当時の、まだ何かに真剣に打ち込んだことがなかった大村にとっては、人間味を増すために必要な過程だったような気もする。大会に出れば、顔が巌のように膨れ上がる。それでもかわまず、続けた。27歳の遅い入門だったが、後には大会で優勝したこともある。同時にジムにも通い、カラダを鍛えた。60キロだった体重が86キロにまで増える。筋肉がついたのだ。人と違うことをする、何かに自信を持つ。その心の幅が、仕事にも好影響を与えるようになる。

31歳で独立。ついに念願の自分の店を持つ。恩師、宇野氏が「よだれ屋」と命名。

1999年3月、「よだれ屋」1号店が生まれる。「よだれ屋」というユニークなネーミングを行ったのは、恩師の宇野氏である。「突然、『屋号を考えたから』と言われ、はい、ありがとうございます」という感じで。店名だけではなく、店の雰囲気も、運営にも、「楽」のやりかたを積極的に取り入れている。2003年4月に府中店、オープン。2005年に初めて渋谷に出店する。客とスタッフの距離が近い。これが「よだれ屋」のよいところである。実際、大村が日々考えているのは、「お客様にいかに楽しんでもらうか」。そのためにお客様の気持ちを見失わないように注意し、飽きさせないことを心がける。今後の出店目標は定めていないが、「2年に1度の割合で、何かを仕掛けていきたい」と大村。経営理念は「一国一城の主」。すでに自分の城を持った大村は、後に続く社員たちにも、一国一城の主たれと言っている。そんななか、「よだれ屋」より、1人の独立経営者が巣立った。「何をするにもすぐに飽きた」、そんな少年が飲食業で根を張り、今度は、次の経営者を育てようとしている。少年時代のあやふやな意志が、そのたくましい体つき、同様、強くなった証拠にほかならない。

思い出のアルバム
思い出のアルバム1 思い出のアルバム2 思い出のアルバム3
調布店オープン時 オープン時のクリスマスの時(仮装) 高校時代

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