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第105回 株式会社ダイネット 代表取締役 中川徹也氏
update 10/02/23
株式会社ダイネット
中川徹也氏
株式会社ダイネット 代表取締役 中川徹也氏
生年月日 1954年6月14日、東京都世田谷区三軒茶屋に生まれる。
プロフィール 3人兄弟の長男。妹とは5つ離れ、次男とは9つ離れている。父は広告代理店に勤務。高校卒業後、美容専門学校に進学。卒業と同時に、アパレル業界に進み、24歳で独立を果たす。OEM生産を主に業績を伸ばし、売上20億円の会社に育てあげる。20年間、アパレル業界にいたが、2001年、会社を当時専務だった弟に譲り、飲食事業に乗り出す。それが株式会社ダイネットの始まり。
主な業態 「中川屋カレーうどん」「エビスさん」
企業HP http://www.dinette.co.jp/
株式会社ダイネットは現在、2つの業態を柱にしている。一つは、「中川屋カレーうどん」。もう一つが、新鮮厳選極旨もつ焼き「エビスさん」である。前者は希望の中から、後者は苦境の中で生まれた。中川が飲食業に進出したのは2001年。飲食業の経営者となり、まだ8年だが、その間、経験してきた「明」と「暗」は20年選手に匹敵するかのように深い濃淡に彩られている。ひとまず、その中川の明暗を追いかけてみよう。

アパレル会社を弟に譲り、46歳で再度、起業家デビュー。

中川は生粋の江戸っ子である。1954年、三軒茶屋に生まれ、いまも世田谷区上馬に本社を構えている。兄弟は妹と弟。9歳離れた弟は、やがて中川の会社の専務になる。父は広告代理店に勤めるサラリーマンだったが、中川は父とは異なり、早くから独立を志し、24歳でアパレル会社を設立している。高校卒業後の進路は美容専門学校。その後、アパレル業界に進み、独立開業するに至る。このアパレル会社は順風満帆に育ち、20億円を売り上げるまでに成長。しかし、20年アパレル業界と共に歩んだ中川だったが、2001年、46歳の時、会社を専務の弟に譲り、飲食事業に転進するのである。

1人300万円で資本を募り、「中川屋カレーうどん」開業。

もともと飲食業に興味を持っていた。実際、出店したこともある。ただし、本業としたのは、これが最初。和食料理の経験者だった専務の★★氏に店は任せ、中川は経営に専念した。友人たちからも出資を募った。1人300万円。誰もが中川を信じ、出資してくれる。およそ6000万円が集まった。資本は潤沢にある。
「蕎麦」と「うどん」。旧態依然としたままの、これらの業態に可能性を感じた。両者を天秤にかけ、「うどん」をチョイス。一つのメニューに特化するため「カレーうどん」の店を立ち上げた。それが、「中川屋カレーうどん」の始まりである。上野に1号店を出店。すぐに駒沢に2号店もオープンする。客が列を作る、「これは、いける」。順調な売上をみて、中川は一つの決断をした。フランチャイズ化だ。

フランチャイズ化、失敗。オーナーたちには、いまも頭を下げ続けている。

中川はいまでも「申し訳ないことをした」と当時のことを思い浮かべ、悔しがる。「いける」と確信した中川は、スーパーバイザーを採用し、フランチャイズ本部を作り上げた。十分な勝算はあったが、実際に出店してみると、直営店のように業績は伸びなかった。
「原因は本部の勇み足にもある」と中川。加盟店の募集費、人件費など、ダイネット自身が、押し潰されそうになる。それでも、なんとかFC店に業績を上げてもらおうと努力したが、結局、1億円に増資した資本金を食い潰すまでに、損失は広がった。失敗。夜になって一人で考えると冷や汗が脇の下を伝う。FC事業からの撤退は、中川という人間にとって苦渋の選択だった。

口コミは「最強の宣伝」「ホンモノの証明」。

もう、後がない。資金はもちろんだが、投資してくれた十年来の友人たちもなくしてしまう。途方に暮れるなかで、ひらめいたのが、もつ料理だった。
「小さい店で、連日夕方の5時から満席の店があって。次にやるならこれだ、と」。初期投資もほとんどかけず、飾らず、気張らずに店をつくった。これが、もう一つの業態、新鮮厳選極旨もつ焼き「エビスさん」の始まり。新鮮なもつの仕入れルートを確保することなど、困難を乗り越えてのスタートだった。これが、化けた。「うちの店は徹底して新鮮な肉を使っています。その朝、処理された肉を直接、取りに行くのですから、刺身でも食べられます。ルートを確保するまではたいへんでしたが、素材は、もつ焼きの『いのち』ですから」。「代わりに店には金をかけていない。宣伝費もゼロ。値引きもゼロです。それでも、お客様が口コミで来てくださる。1号店などは、駅から歩いて10分の、普段は人通りもわずかしかない立地なのに、です」
桁違いの利益がでる。それでも、中川は有頂天にならない。「中川屋カレーうどん」での失敗があるからだ。ところで中川は、すべての数字をオープンにしている。「業績はもちろんのこと、社長のぼくの給与までみんな知っている」と平然という。当然、1億円以上の負債があったこと。その負債を後1年で返せそうなことまで、社員たちは知っているに違いない。当事者意識が高まって当然だ。一方、この店の人気ぶり。社員たちもおもしろくて仕方ないだろう。

独自の「のれん分け」で成功店続出。中国上海に自信作「エビスさん」を出店する。

実は、この「エビスさん」でも、中川は、人に頼まれ「のれん分け」している。「FC化は懲りたんですが、どうしてもと頼まれては断るわけにはいきません。だから、2〜3ヵ月付き合って『こいつなら』という人に、ノウハウを提供しました。FCとは違います。仲間ですね。400万円の加盟金はいただきますが、後は月々10万円だけ。ロイヤリティもなにも貰わない。ある大手のFC店で業績が低迷していた店もこの『エビスさん』で一気に息を吹き返しました。いま4人が開業されています」と中川を笑みを浮かべる。
かつてやったフランチャイズが「暗」なら、こちらは「明」だ。明暗の違いを、人間臭さの違いといえば、怒られてしまうだろうか。
2009年11月。中川は中国上海に、「エビスさん」の海外1号店を出店した。出資者である友人たちも駆けつけた。アパレル時代から、上海と深く関わり熟知する中川だからできた出店。日本人から来た駐在員がターゲットになる。「エビスさん」の専用HPで、中川は、こう告げている。「駐在員よ、泣いて喜べ! 中国・上海にエビス参、ついにオープン…」。中川の自信が垣間見られる。

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