最近、マスコミをにぎわせている「ハンバーグの五重塔」。なんと重さ五キロ。この日本一大きいといわれるハンバーグに、東京キー局から地方局までが、こぞって取材に宮城県を訪れる。なぜ、このような超大型ハンバーグになったのか?

小野寺は「お客さまの要望からです。」と言う。はじめは150グラムから普通にはじめたハンバーグ。味の良さに「もう少し大きくして焼いて」との注文が段々増えていき、いつのまにか一キロ、二キロ・・・と自然に成長してしまったのだ。

小野寺に「二キロの値段を当ててください」といわれ、当然、一万円はくだらないだろうと思っていたら、「実は、一キロで千八百円、二キロで二千円なのです」という。一キロ差がたった2百円? 小野寺のハンバーグは生肉ブロックをミンチにするところからはじまる手の込んだ上質・無添加もの。それなのに、そんな値段で一体儲けはあるのか? 

「私は戦後生まれ。小さい頃、おいしいものを安くお腹いっぱい食べたい夢を見続けていました。それを実現したかったのです。だからそんなに儲からなくてもいいのです。喜ばれる顔が何より報酬ですから。」 育ち盛りの学生などが喜んで食べに来る2キロのハンバーグ。友達と取り分けるとこづかい程度だなんて夢のようだ。 ただ、小野寺はそれだけではない。店では本名、そして別名でこっそりと恵まれない施設に出向き、幼児から高校生までの子供たちにハンバーグを焼いているのだ。さらに、ショー(目隠しでたまねぎのみじん切りをするなど)を見せたりして、楽しませているらしい。
なぜ名前を変えるのかについて小野寺は、「そうすることによって人格が変わるのです」。 まるでスーパーマンがマントを着用したり、スパイダーマンがスーツに身をつつむと最強の正義の味方に変身するように、小野寺は名前を変えているわけだ。これ自体も全く無欲な話である。自分の知名度にも執着していない。

「ボランティアの名前は、実は亡くなった父親の名前なのです。厳しい父でしたが、私にホンモノの心というものを教えてくれた男です。父親の名前を名乗ることによって、見事に人格を変えることができます」。確かに人はネクタイひとつでも人格が変わる。名前となればさらにそうであろう。 さらに小野寺は「子供が本当に無邪気に喜んでる顔を知っていますか? 小さいながら、過酷な過去をもった子供もいるんです。ハンバーグが嫌いな子供ってほとんどいないでしょ? 笑うことを忘れた子供たちも、大きなハンバーグをほお張ると表情が緩みます。私はそれが嬉しいのです」。 実に泣かせてくれる。
小野寺は、この道40年のベテラン。昔、小野寺が受けた飲食業の修行は、軍隊のごとく厳しいもので、働く時間は長い、外には出られない、給料はほとんどもらえない、という世界だった。「こんな環境ではいいサービスが生まれない!!」かなり反発してその時代の飲食業界を変えようと大喧嘩をしたこともある。巨匠といわれる師匠たちも、そんな純朴な小野寺を特にかわいがったという。

当時、カリスマ的存在だったある師匠は、小野寺が自分の感覚で作った自信のスープを、ブリキごと捨てた。そのとき、はじめて大きなショックを受けた小野寺は奮起し、お客さまが喜ぶ味を追及しはじめた。「いまだに理想のイメージだけはあるのですが、到達していません。追い続けるのみです」。巨匠に対しても「あの厳しさがあったから、ここまでこられた。やはり苦労は買ってでもしなければ絶対に成長はありません!!」。これは今の時代に向けたメッセージかもしれない。究極の味を追い求める小野寺はたばこも酒もしない徹底振りである。

取材が終わってから「これが私の夢です」と小野寺が一枚の写真を見せてくれた。それは高齢者の楽園だという。無欲な小野寺だから「夢はありますが、無理はしません。自然にお金が入ったらこれに注ぐつもりです」という。いま、その小野寺のスピリッツに共感したテレビ局などが、強烈に、小野寺のハンバーグの都内出店を奨めている。

小野寺は「誰か、東京で私のハンバーグを伝えてくれる人を探していきたいですね。飲食は心。それにこだわった人で、私と同じような精神の持ち主でね」と語る。
心に重きを置いている飲食業のかたには、小野寺との出会いはチャンスかもしれない。私たちは、東京で小野寺の大型ハンバーグを楽しめる日が来るのを心待ちにするばかりだ。

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