猪田彰郎(74歳)はこの2007年、コーヒー職人として還暦(60年)を迎える。普段着の猪田はきさくなシニアに見えるが、ひとたび白衣に着替えると、雰囲気や顔つきがゴロっと変わる。「白衣を着ると、身が引き締まるのです」。真剣な表情、まるで、博士のような雰囲気が漂う。しかし、なぜかその背中は楽しく笑っているように見える。

猪田のコーヒー人生60年間を支えてきたのは、ひとえにコーヒーへの愛情と人間関係だという。 「コーヒーは生き物のように、愛情や期待に応えてくれます。コーヒーに教わることは実に多い」。 猪田の中では、コーヒーと人間、そして人生が見事にリンクしている。 人を大切にし、人間関係を重んじる猪田のおもてなしの極意は、猪田が淹れるコーヒーをこよなく愛した高倉健さんや、吉永さゆりさんなどのトップスターの礼儀から学んだそうだ。 「トップスターさん、それはそれは、礼儀正しさも一流です」。 高倉健さんについては、猪田のコーヒーを必ず2杯飲んでいかれるという。 一滴も残さずに飲み干し、ひとこと「美味しいです」。 そんな高倉健さんのコーヒーを飲まれる姿は、いつも無言で猪田を励ましてきた。 そして吉永さゆりさんも、まるでコーヒーに敬意をはらうように、丁寧にお礼を言われるそう。猪田は、「礼儀とは、人を励まし、感動させるものです。」という。

猪田がコーヒーの「凄さ」を再認識したのは、’95年の阪神淡路大震災のときだ。なんとしてでも現地に駆けつけたい!! 震災日から1ヶ月もたたない2月11日、店の反対の声もあったが、御室の大根炊きを持って出かけるメンバーに声をかけられ、同行することができた。 その日は7キロのコーヒー、ミルクタンク5本の水、ミルクと砂糖を車に積み、猪田ひとりの手で500杯のコーヒーを振舞うことになる。被災地は想像以上に悲惨な状況。心も体も疲れきった被災者に、猪田の淹れる一杯のコーヒーがどれだけ心に癒しと感動を与え、元気にしただろう。 その中に、若干3歳の女児が並んでいた。猪田は薄めのコーヒーにミルクと砂糖を入れた甘くしてあげた。 「おいしいっっ!!」女の子は全身で喜びを表現する。そして猪田が京都に戻る用意をしていたとき、「おじいちゃんのコーヒー、もう一杯ちょうだい」と、その子がもう一度来たのだ。

猪田は、その日、つくづく「コーヒーの持っている力は凄いものだ」と痛感した。 コーヒーの持つ凄い力を、まるで恋人でも追いかけるかのようにしてきた猪田は、「一生懸命に気持ちを入れると、勝手にコーヒーが美味しくなってくれます。そして、自分が変わるとコーヒーも変わる。いつも幸せに平穏でいるための努力もしながら、味を追いかけるんです。追いかけても追いかけても、まだ先がある。全然飽きないですね。」と語る。

各国の味を試しに世界をまわったこともあるが、「自分の淹れるコーヒーにさらに自信が出た」という。研究すればするほど、コーヒーは心で淹れるものだと確信するのだ。感情が見事に表れるコーヒーだからこそ、常にハッピーでなくてはならない。それらを保つ精神力は、これも猪田のコーヒーをこよなく愛した太道格闘家、中井道仁さんから学んだそう。 「今では何事も腹が立ちません。良くない感情はコーヒーの味を変えてしまいますからね」 退職して10年。今は講師やセミナーを中心に全国をまわっている。「これからは喫茶店を出すよりも、家庭で淹れるコーヒーを追求する時代だと思います。一人でも多くの人にコーヒーの素晴らしさを知ってもらいたい」と、新たなスタートをきっている。いま、猪田に出会えれば、誰もがコーヒー好きになり、コーヒー職人になれそうなパワーを感じる。 今後、全国にどれだけ猪田の奥許しを与えられた伝承者が誕生するだろうか?  猪田には生涯、引退はない。それは、コーヒー職人・猪田彰郎からコーヒーを取ってしまうと、「何も残らない」からである。

 

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